オンライン授業の将来性「私にとっての」理想

大人の心理

「きょうしろう」と申します。このところ、時間の使い方が大きく変わり、一時期悩まされていた全身のかゆみがウソのように和らいでいます。健康状態が良好になっている自負はあるものの、夜間低血糖は再燃しつつある気もしている現役小学校教員です。

今回のテーマは、すっかり日常生活に根付いたオンライン〇〇を、学校でどう活用できるかについての私見です。私から見た理想をつづってみます。

教室に入ることに抵抗がある児童にとって、オンラインでの授業参加は、とても有効な手立てであると、実際に試してみて分かった。ウィズコロナの頃に一気に広まったこの形態だが、残念なことに騒ぎが落ち着くにつれ、すっかり下火になってしまっている。つまり、授業を受けるためには教室にいるほかはないという状態に戻ったわけだ。それができれば本人も周囲もそもそも困ってないだろ!と声が大きくなる。せっかく一度下がったハードルがまた高くなったように教師が感じているのだから、同じことを思う児童は、かなりの数いるだろう。

コロナ禍で授業配信をしていた頃にも、自分の授業の様子を毎時間公開することへの心的負担を感じる教師は少なからずいた。これは自分の授業スキルの話だけでなく、プライバシーやらコンプライアンスやらの配慮面でも同様だからである。黒板と教師のみが画角に入るようにカメラをセッティングし、教室にいる児童の顔は映さないようにする。公開の対象となる教科を限定し、その時間以外は必ず接続を切るなど、普通は学校ごとでルールが決まっていると思われるが、それを徹底するのに、また配慮や労力が足し算される。

そもそも教室にいる児童にしてみれば、画面の向こうになかなか会えない友だちが映っているなら、自分も手を振って顔を見せたい、一言二言交わしたいと考えるのが普通である。コンプラなんてどこ吹く風なのだ。子どもの側だけではない。4時間目の国語は「つながなくちゃいけない」のに、直後の給食時間は「つないではいけない」なんていわれても、手洗い指導やら配膳やらでテンテコマイの状態では、教師の側のヒューマンエラーが起こる可能性だってあるだろう。

いえいえ、伝えたいのはそこじゃない。オンラインを活用した授業の可能性はかなり広いはずということ。最初にオンライン授業について真剣に考えたのは、自分自身が感染症で自宅待機の状態になったときだった。体温はすでに平熱に戻り、食欲もある。体調的にはまったく問題なくても、まだ2日間は出勤できないというこのもどかしさ。そのとき、自宅からオンラインで教室につなげば、普段とそれほど変わらずに授業を進められるではないかと思ったわけだ。

ほどなく、教師がその立場で自宅から授業を行うことは難しくても、児童ならオンラインで参加することが社会的に可能となる時代が来た。だったら教師もそうしてよ。

だがその方向が進むどころか、いまは児童のオンライン参加もほぼ行われないという学校が大半ではないかと思う。

ここから先は、希望というより、ほぼ夢想や妄想に近い内容ですが!将来的にオンラインが普通のことになったとしたら、感染症により自宅待機中の教師が、飼い犬が寝そべる自宅からオンラインで授業を進めることも可能になる。さらには、有給休暇を取得して遠くに出かけ、2時間分だけ授業をオンラインで進めた後、ゆっくり温泉につかるなんてことも可能になるわけだ。

その場にいなくても同じ情報を得られるというメリットは、おそらく多くの国で間違いなくメリットとして認知され、積極的な活用が始まっていることだろう。日本は「それをすることで不快に感じる人がいるかもしれない」的な考え方が先立つことの方が多いことは、これまでの経験で痛いほど承知している。だが、デメリットを補ってあまりあるメリットがそこにあると、個人的には強く思う。

今回もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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