「バカ」っていわれたという児童の訴えへの対応

児童実態

「きょうしろう」と申します。壮年という響きがすっかり板についたまま、日々子どもたちと「楽しいこと」を見つけている現役小学校教師です。

今回のテーマは、児童の人間関係あるあるの定番「○○くんにバカっていわれた」という訴えに対する私なりの返答について提言します。

「バカっていわれた」「いきなりぶってきた」「筆箱とられた」などなど。友だちとの関係についての相談・訴えはほぼ毎日寄せられる。相談件数でいえば、学年が下がるにつれて多くなるが、その深刻さや根の深さでいえば、高学年の方が高いのが一般的である。「バカっていわれた」的な訴えは、主に低学年よりといえる。

如何ともしがたいジレンマだが、その相談が寄せられるのは、だいたい休み時間の終了間際であることが多い。授業のしたくを済ませ、子どもたちの着席を待っているところに「先生…」と、うつむき加減の一人が歩み寄ってくる図だ。なので、その場で見極めたい要素の第一は「1~2分のやりとりで済むものか、それとも別の場を設けて話を聞く必要がある案件か」である。

「バカっていわれた」という主訴であるなら、前者にあたる。本人にしてみれば、納得できず、悔しくて教師のところに参じたことは分かるのだから、たとえ授業直前であっても、場合によっては他の児童を待たせてでも、とにかく訴えの概要は聞く。

「教室で遊んでたらね…」そんな切り出しで話し始めた声を聞きながら、ときどき他の児童へも声をかける。「まだ手洗い済んでない人いないか?」「教科書の54ページ開いて、音読の練習始めてて」といった具合である。1分程度で訴えの概要を聞き取った後、必ず私から聞くことが2つある。

最初に聞くのは「なんでその子は、そんなことをしたんだろうね?」である。

相談に来た側を、仮に「被害者」と呼ぶことにすると、相手の子は「加害者」となる。言葉はキツくなるし、そう断定づけるのも不適切なのだが、便宜上の措置としてそうする。

ということで、被害者に対して「相手の子がそんな行動をとった理由」を推測させることで、まずは被害者側にも、なんらかの落ち度というか、事態を招く「きっかけ」があったのではないかという点を思い起こさせる。もし「先にぼくが、その子の消しゴムを黙って使っちゃったからだと思う」なんて返事が来れば、お互い様なので、場さえ設定すれば相互謝罪が容易に成立することになる。

だがほとんどの場合「なんでそんなことしたのか、ぼくには分からない」という返答となる。そこでもう1つの質問をする。「そのとき君はどうしたの?」

この問いかけに対する被害者児童の返答は2パターンしかない。「やめてっていった」「謝ってっていった」という、何かしらのアクションを起こすパターンと、何もしなかったというノーリアクションのパターンである。

これ、実はどちらのパターンでも、教師の側の返しはほぼ共通している。もし「何もしなかった」というなら、被害者児童の望みを聞き、それを実現するために何をすればいいか、本人に考えさせればよい。たとえば「謝ってほしい」というなら「どうすれば相手の子は君に謝ってくれると思う?」と尋ねる。当然被害者は「謝ってほしいと相手に伝える」という方法を思いつく。

もう1つのパターン「謝ってってちゃんと伝えた」という訴えに対しても「それでも謝ってくれないなら、何かしら理由があるはずだから、それを確かめてきてごらん」である。

つまりどちらの場合であれ、教師から加害者児童に直接声をかけないのがミソである。それをするのは、被害者児童ができることを全部やったのに成果が得られないときのこと。

ちなみにここまでの所要時間はだいたい2分程度。まだ他の児童はそれほど手持無沙汰にならずに済んでいる。

その一方で、被害に遭った児童は、これまでこちらのやりとりをチラチラのぞき見ながら音読練習をしていた加害者と、この後再度対峙し、自分の訴えたいことを改めて相手に伝えるという試練に臨む。

重ねていうが、教師ではなく、被害者本人の口から、言葉を発することに意味がある。ここで相手に直接伝えることができると、今後の友だち関係に大きな進展が見られるようになるからである。

具体的にいえば、影でコソコソという動きが減り、似たようなことがあったとしても、自分の口からその場で思いを伝えようとする意志が芽生える。一度経験した「すべきこと」はその後の長い人生のどこかで活用できる。

人間関係のトラブルは「伝えたいことを、自分の口から自分の言葉で相手に伝える」という経験を積ませるための、成長の機会と捉えられる。自信になるだけでなく、加害者児童にとっても、教師に「ちょっと来て」と呼ばれるより、子どもどうしで腹を割って話す方がだいぶ気が楽だろう。

少し時間がたってから、双方に「話は済んだ?」「スッキリした?」なんてことを聞き、双方が大きくうなずくのを見るのも気分がいい。

ただ、これはあくまで、比較的短時間で解決が見込める内容についての対応である。深刻度が増す案件について、当事者どうしのやりとりのみで済ませることはない。別の場を設けて、腰を据えて、場合によっては複数回話を聞くことになる。だが、毎回思うが、そこに時間と労力を注ぐことで、火種がなくなるのであれば、むしろそれが最短ルートといえる。

未熟な生体が集団で生活しているのだから、もめごとが起こるのはむしろ必然である。だが、児童本人の思いを、本人の言葉で伝えることで、そのトラブルが少しずつ減っていくという実感は、どの学級を担任したときにも当てはまる。これまでに例外がないのなら、それだけ有効なのだろうと自負している。

今日もまた、最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。

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