今日もそうだったが、教員は日中トイレに行かない。「行けない」「行かない」どっちも当てはまる。
教員のトイレ事情の前に、子どもたちのそれはといえば、当たり前だがトイレのための時間は確保される。業間の5分休憩と中休み、昼休みに行くのが基本だが、朝の始業前も、それから給食時間中も「行ってはいけません」とはいわない。つまり、授業中は控えるものの、あとはほぼ行きたいタイミングで行けばいいとなる。まあ授業中でも「先生、どうしてもいま行きたいです…」となれば、止めるわけにはいかない。繰り返すが子どものトイレ時間確保は「当たり前」だ。
教員にはその当たり前がない。朝、子どもたちが登校してくる前、つまりランドセルをガチャガチャ鳴らしながら教室に駆け込んでくる前に済ませておき、あとはやはりランドセルをガチャガチャ鳴らしながら階段を駆け下りて、全員の後ろ姿が見えなくなるまで、トイレのことなんか忘れている。私に関していえば、朝もほぼ学校のトイレには行かないし、子どもたちが下校するのを待って、あわててトイレなんてこともまずない。自慢になることでもないが。
トイレへの耐性が強化されていくのは、子どもたちが放っておいてくれないことと、こちらも子どもたちを放っておけないことの両面に起因する。「ねえ先生、これあげる」なんて、折り紙で自作したメダルなんて持ってきてくれるのだから、聞き流しながら席を立ち「あ、そこ置いといて」なんて無下にもできない。「メダカの水槽の水を換えたいんだけど、重くて持てません」なんて声がかかれば「そりゃそうだよね」と、私が立ち上がるしかない。
そんな愛嬌のある話ばかりではなく、前日に起きた隣のクラスの子とのトラブルなんて、双方から話を聞いて突き合わせるなら、そんなの休み時間しかない。
まあ、水分量は多めに摂取しているので、体に無理を強いているつもりもないし、子どもたちを引率して校外に出るときや、厳粛な場に長時間いなければならないときなど、この耐性は実生活の多くの場面で役に立つ。実はもっとも助かるのが、休日に遠出するときである。助手席の妻が、常に「次のトイレはどこにあるか」をチェックしている様子を見ながら、信号待ちの間に熱いお茶をすすっていられる。
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