「きょうしろう」と申します。現役教師としての実践や私見などを肩ひじ張らずにつづっています。今回のテーマは児童のノート事情です。
児童のノートにまつわる「あるある」はいくつも思いつく。まずは王道の「いたずら描き」から考えてみる。私自身、児童がノートにいたずら描きをしている現場を押さえたことは数少ない。ということは、かなり巧妙にカモフラージュした状況下で従事しているのではないかという考えがまず浮かぶ。
だが、後でノートを回収してみると、思った以上の大作に出会うこともある。よくまあこんなにたくさんドラゴンやロボットをすらすら描けるもんだと思うほどである。もはやいたずら描きの域を超えた作品を目にすると「一体どのタイミングで?」という疑問が自然と湧いてくる。おそらく5分やそこらで描けるものではないので、きっと数日間に渡って少しずつ完成に近づけていったのであろう。
たとえばそれが国語のノートだとすると、基本は国語の時間にしか机上に出ていることはない。となると、毎日の国語の時間、ほかの児童や教師が何をしているタイミングなら、不自然さがないままで没入できるのだろう。
子どもの常で、困っているときや何かしら負い目があるときは、その不安感が挙動に表れる。読みかけの本が気になって、授業中机の下でこっそり開いて読んでいたなんて場合は、ときどきこちらの様子を確認するために上目遣いで視線を送ってきたり、あからさまな場合、開いた教科書を立てて、目隠しをしているなんてこともある。
どの程度の割合で教師がその現場に気づけているかは、確認のしようもないが、机の下でこっそり行っている行動のうち、おそらく半分以上は教師の知るところだと思う。つまり、授業中の「こっそり行動」は、私自身もまあ気づくし、声もかけるのだが、翻ってノートのいたずら描きについては、ほぼ実態がつかめたことがないということになる。
ここで1つの仮説が出てくる。「いたずら描きの作業は、隠れてコソコソとするものではなく、まったく臆することなくのびのびと進めているのではないか」というものである。いずれノートを回収されたときに教師の目に触れることが分かっていても、毎回そのページに自分の世界を描かずにはいられないという児童は、どのクラスにも必ずいる。後日教師に見つかるなんてことは、その子たちにとってほんの些末事なのだろう。
ちなみにそういった児童の共通点として「なにかしら他にとても好きな対象をもっている」という特徴がある。生き物が好きだったり、折り紙に目がなかったり、工作が得意だったり、とにかく何かしらに長けている子の方が、いたずら描きの才能?は宿りやすいように感じている。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。
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