「きょうしろう」と申します。
今回は保護者ボランティアについて「教員側の積極的活用のススメ」と「保護者側の積極的参加のススメ」についてつづろうと思います。
コロナ禍でしばらく控えられていたが、生活科や社会科での校外学習が再開されているところが多いと聞く。私が勤務する学校も同様だ。
早々に本題とはずれるが、このコロナ禍の期間中、実に多くのコンテンツや新たな手法が校外学習の代替として確立された。いわゆる「エア○○」である。特に食品を扱う商店や工場では、なかなか「どうぞどうぞ。ぜひおいでください」とはいえないというのが当然な情勢だった。そのため、スーパーマーケットのサイトに「店舗見学」の動画をアップしてくれたり、「児童は無理でも先生だけなら」と、バックヤードの撮影まで含めて立ち入りを許可してくれたりといった協力をたくさん得られた。
つまり「子どもたちのためになるなら!」という思いは、どんなご時世でもついえることがない。この思いを形として表している取り組みの1つに保護者ボランティアの依頼がある。その代表が「校外学習への同行」だ。
以前からそういった取り組みはあったはずだが、私自身がその活用に前向きになってきたのは、ここ数年のことである。理由は明らかで、依頼をかけるというひと手間が省略できるようになったからである。
カギを握るのがスクールコーディネーター(SC)と呼ばれる方々の存在だ。近年、学校では様々な頭文字略語が飛び交っている。件のSCだけでなく、HS・SLS・SSSなどなど。やたらSが多いのは「スクール」と「スタッフ」が多用されるからだろうか。
とにかくそういった学校版サポーター制度のようなものが年々充実度を増し、以前は教師がすきま時間を縫って行っていたものを、少しずつ手放せるようになってきている。毎日の宿題プリント印刷をお願いできるなんて、それだけでもどれほど助かっているか。ありがたや!
そのサポーターの役割の1つに、同行ボランティアのアテンドというSCの仕事がある。教師側にすれば「来週、木曜日に校外学習を予定しているので、また保護者ボランティアを募っていただけないか」という依頼の電話をSCに一本かけるだけで済むのだから使わない手はない。まあ、これだけの体制が整うようになったのは、当該SCの人柄や調整能力が大きいのと、これまで積み重ねてきた学校との連携があってこそだろう。私もいまの学校に来て、こんなにスムーズに人員の手配ができることに驚いた。
そして実際に校外学習に行く段となると、今度は保護者、主にお母さんたちのはりきりぶりに助けられる。なによりも行程の安全確保が一番の目的なので、前後からの自動車接近には常に気を配り、近づいてくる車両を見れば、即座に対応してくれる。横断歩道を渡る際には、歩行者信号が赤にかわるところで一度、児童の列を切ってくれたり、万一を考えて車道側に立ち、壁になってくれたりもする。
訪問先で店主の方やスタッフから話を聞く際には、ちゃんと前を向いているか、教師以上に気にしてくれる。特に自分の子どもの態度には敏感で、よそ見していようものなら、背中をつついて前を向かせてもくれる。
保護者の同行において、私がいちばんありがたいと思っているのは、子どもの集団生活の様子を肌で感じ取ってくれる点である。「ああ、子どもたちってこうなのね…」という実態を、いい面とそうでない面の両方から実感できるという意味だ。普段の生活、つまり家庭の中では自分の子どもしか見えないため、できていないところも、まあ及第点というところも、いわば比較対象がいないままの判断となる。兄弟姉妹がいたとしても、それらを比較対象とする場合、もっとややこしくなる。だが、学校という「社会」の中の一人として見る機会があれば、自分の子どものことを客観的・俯瞰的に捉えられるようになるのではないかと思うのだ。
自分の子どもに目が行くのは当然だが、全体を視野に入れて同行してくれているのだから、当然他の児童も見える。全体を同じく「俯瞰」したとき、この学年の子どもたちって、こういうことはできて、これはまだ難しいのだという把握ができるのは、保護者にとって価値ある情報だと思う。
その情報を、期せずして受け取ってもらえるのだから、教師側としてもありがたい。「うちの子全然いうこと聞かなくて…」ではなく、何かに気をとられると、話し手の声が届かなくなるのは他の子たちも同じなのねなんてことを、納得してもらえるのは助かる。
実態を知ってもらう、つまり「先生、毎日お疲れ様です」なんてことを思ってもらえるというオマケまでつくのだから、こういったボランティアは今後もぜひ活用していきたい。保護者の皆さんにとっても、健康的、かつ普段は見られない実態が見られる機会は、活用する意義があるのではと強く思う。
最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。
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