「仕組み化」の気づかぬメリット

仕組み化

「きょうしろう」と申します。ほうれい線の濃さなど、あまり気にしてこなかったことを反省し、スキンケアや表情筋をはじめとする各部位のリフトアップに、いまさらながら着手している壮年現役小学校教員です。

健康への向き合い方に限らず、そういった一つひとつの取り組みって、ふとしたきっかけでやる気が起きるものですが、やる気の対象になった取り組みのうち、成果を上げるまで継続できるものって、おそらく半分以下かと思われます。私だけ?いえいえ、妻を見ていてもそうですし、同僚と話していてもそう感じることは多々あります。

だとすれば、子どもたちはなおさらそうであるはず。実際、教師はなんとか子どものモチベーションを上げよう、努力を継続させようと、日夜試行錯誤を重ねています。

今回のテーマは、そんな奮闘を続けている日本中の教師諸氏からお叱りを受けそうな内容ですが、モチベーションを上げることや、決意を新たにすることは、本当に有効なのかについての私見です。

結論からいえば、私個人としては「有効だと思えない」ということになる。自分自身のことには目をつぶるとして、これまで自分が関わってきた子どもたちを思い返してみれば「有効とはいえない」と結論づけるしかない。もちろん、すべての努力や取り組みが、尻切れトンボで頓挫してしまうわけではないが、やると決めたことのうち、過半数はいつの間にか「そう決めたことを忘れてしまう」のである。

「長縄大会に向けて毎日中休みにみんなで練習しよう」やら「ほかの学年の人たちにも自分から、気持ちよく朝のあいさつをしよう」なんてことを決めても、なかなか根付かせるのは難しい。

そこに悪意はないが、子どもたちより多少は完遂したいという気持ちが強い教師の側から見れば「昨日、みんなで決めたばかりじゃないか!」と、語気を強めたくなることもある。

決めても忘れてしまう。熱意もほどなく冷めていく。それらは人がもつ自衛のための本能なのかもしれない。あれもこれも全部やろうとすれば、すぐにキャパオーバーでしょうから。

モチベーションや決意は大切なものなのに、それが行動の持続につながらないなら、結局どうすればよいのか、私自身も長いことそのジレンマにほぞを噛む思いであれこれ試してきた。そして悲しいかな「次はこんなことを試してみよう」と考えたことすら忘れてしまうなんて日々を繰り返してきたわけです。

なので結局行きつくのは、どうしても「仕組み化」の一択なんです。「忘れないため」「継続するため」「成果を実感するため」に必要な「仕組み」を「仕組む」しかないんです。

アラームやタイマーを使ったり、ルーティンの行動を促す音楽をかけたり、友だち相互でチェックシートにサインし合ったり。

重ねて申し上げますが、やる気は減退します。決意は忘れ去られます。でも仕組みは残ります。やる気よりも習慣の方が有効なんです。キャパの考慮は不可欠ですが。

相手が子どもであり、その取り組みが時限的なものであれば、切替?やら入替?やらをしたり、取捨選択したりしながら、それをするメリットや達成感も味わわせていくことは必定。

だが「対自分」の取り組みであれば、継続期間は恐らくずっと長くなる。納得いく成果を得られるまで続けるのだから。あらかじめ仕組み化しておくことで、途中で挫折しそうになることも、一喜一憂することもなく、淡々と継続できるようになる。

そしてほら、気がつけば私のほうれい線も…。

今回もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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