「もう一度子育てを1からやり直したい」という保護者への進言

保護者相談

「きょうしろう」と申します。自身の子育てはほぼひと段落ついておりまして、となると老後に向けての大きな出費はおおむね払い終えたはずなのに、なぜ日夜経済の不安が尽きないのかと不思議に思う壮年小学校教師です。

今回のテーマは「親目線&教師目線」の両方をもつ私から、巷で奮闘している子育て世代の親御さんに向け、子育ての失敗と成功についての進言です。

そもそも子育てに失敗も成功もないというのが本質だ。ある程度子育てを終えた壮年世代は、みなそう思っているはず。自分の子育ては「完璧だった」なんて誰一人思っていないだろうし、育った我が子がまったくの失敗作だったと断じる親もいないだろう。つまり子育ては、親がいくら全力を注ぎ、時間と労力と経費をかけたとしても、それ以外の外的環境が及ぼす影響があまりに大きいため、途中で何度も軌道を逸れたり、想定外の行動に走ったりするのが当然なのだ。逆に、いくら親が無関心でも放任でも、最低限の社会的ルールは、集団や社会から体得していく。

親として、子どもがある程度成長するまで、仮にここでは成人年齢の18歳に達するまでをひとつのくくりとすると、その道程で何度となく、大きな節目や出来事が起こる。「なんであのとき、あんなひどい言葉を投げかけてしまったんだろう」といった後悔や、逆に「あのとき、あえて突き放すような対応をしたのは、いま思うと間違ってなかった」なんて手応えも、ほぼ全員が経験している。失敗にしろ、成功にしろ、子育て期間の思い出を振り返るという行為自体が、自分なりの一生懸命さの表れだと思う。

だが、何度となく後悔や反省を感じながら奮闘してきた日々が過ぎ、子育てが少し落ち着いてくると、ときどきいらっしゃるのが「親としての経験値をもったいまなら、もっとよい子育てができるのではないか」という夢想を抱く保護者である。その時期になってもう一人出産という選択肢はもちろんあるが「子育て再チャレンジ」を望む保護者が望むのは、未来に生まれるもう一人ではなく、いま目の前にいる大事な我が子(たち)が、もっと幼かったあの頃に戻ってくれないかという夢想であることが多い。

面談の折などに、保護者からそういった話を聞くこともあるが、私は自身の経験から断言できる。もしその願いが叶ったとしても、結果はほぼ変わらないか、むしろさらに納得感が減るかのどちらかになると。

その理由は単純。保護者が子育てに一生懸命なのは、一度目も二度目も変わらないからだ。経験値があることで、避けられる失敗は確かに増える。だがこれまでの実際の子育てでも、失敗から学んで改善していくという行動は自然にとっていたはずである。むしろ先んじて失敗を避けることを続けたなら、当の子ども自身が「失敗から学ぶ」という貴重な機会を得られなくなる。

そこで翻って教師目線で考えてみると、やはり似たようなことがいえる。最初に担任したクラスと、何年か経験した後で担任したクラスとを比較したとき、後者の方が経営に満足感を得られるかといえば、必ずしもそうとはいえない。最初の頃のつたなさは思い返せば恥ずかしくなることもあるが、あの頃の熱量や子どもたちへの尽力ぶりはいま思い返しても胸が熱くなるほどだ。

スキルやテクニックとよばれる数々は、確かに経験を積んだことでどんどん増えていく。教師としての引き出しも増えて、どのボタンをどのタイミングで押せば、子どもたちがどう反応するか、そんなこともほぼ分かるようになる。それらは若かった頃の自分には確かになかった。

母として、父として、毎日必死で試行錯誤している子育て真っ最中の皆さん。皆さんの子育ては、決して完璧ではありません。でも決して的外れでも逆効果でもありません。「一生懸命の継続」こそが子育ての本質なのだと、親としても教師としても強く思います。

ときどき落ち込んだり、手を抜きたくなったり、誰かに任せたくなったり、気づかぬふりをしたり、そんな背徳だって、日ごろの一生懸命があるからこそです。せめて21:30くらいからは、大人の時間を確保しましょうよ。

今回もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。

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