夏休み自由研究についての提言

児童実態

「きょうしろう」と申します。表向き壮年真っ只中ですが、まだまだ人生の春と夏をいっぺんに楽しむ余力を残している自負のある現役小学校教師です。

今回のテーマは、夏の課題についての私見です。お付き合いください。

夏休みのワクワクは、現役の子どもはもちろん、大人世代だってかつての自分を想起すれば容易に実感できるだろう。「これだけの期間があれば、したいこと何でもできる!」と思えるほどの長い日々、自由を心行くまで享受できるなんて、そりゃあワクワクしないわけがない。

教師にとっても、やはり夏休みは毎年心待ちにしている。少なくとも私はそう。有給を心置きなく消費できるのは夏と冬の2シーズンのみですので。

とはいえ、そんな期間だからこそ「片付けてしまいたいヨシナシゴト」なんてものもある。だったらこのタイミングで終わらせておこうなんて計画も事前に立てたりもする。子どもたちが夏休みに向けて計画を立てたり、生活習慣の乱れが生じないように目標を定めたりするのと似ている。

自分が教師になったばかりのころに比べると、いわゆる夏休みの宿題というものは、かなり軽減されている感覚がある。実際、夏休みの期間自体も昔より数日程度減っているが、その分が割り引かれている程度ではない。傾向としては「受動的な課題から、主体的な課題へ」とシフトしようとしていることの表れだろうと思われる。与えられた宿題をこなすのも、一つの好ましい習慣形成ではあるが、むしろ長期の休業だからこそ、自分で考え、計画を立て、それをこなしていくという手法により、これからの時代に必要な主体性や自分を律する強さを企図しての方向性なのだろう。

こういった志は基本的に賛成なのだが、現場で「明日から夏休みだー!」とソワソワしている子どもたちは、自律や主体性よりも「朝寝坊上等!」「好きなだけゲームができる」という自由さに向いていることを目のあたりにする。

まあ、そういう大人だって、かつては同じことを考えていた「元子ども」なので、そこはそれです。

そんな現代の宿題事情を掘り下げてみると、もう1つ気づく。定番中の定番といえる「自由研究」が「やる・やらないまで含めて自由」なのだ。もちろん、担任や学年全体、または学校全体の考え方があるので、全国的にそうかといわれると確かめようがないが、感覚としては明らかに「自由研究はマスト課題です!」という前提は減っているように思う。

やってもやらなくてもよいというゆるさの中、それでもやろうと考える課題があるとすれば、その理由は大きく3つ。

1つめはやりたいから、好きだからというもの。シンプル極まりない。

2つめは賞品がもらえるから。参加賞だってバカにできないものをもらえるのだから、入賞が狙えるなんてことになったら、俄然やる気も出るというもの。

そして3つめはその両方が備わった場合。つまり、その学習をすることで自分の役に立つ、利益につながることであり、かつそれを探究したいと思えた場合。かなりレアだが、ここに自由研究の本質があるように思う。

自由研究が「半義務」だったころ、子どもたちはそのテーマを決めることにほとほと困っていた印象がある。大方は「おすすめ自由研究大図鑑」的なものを読んで、その例示の中から、それほど大きな負担がなく、多少興味もあるという内容のものを選んで、そこそこの実験と、そつないまとめ方でもって仕上げてきていた。

それってそもそも自由でも研究でもないじゃん!と思ってしまいがちなわけです。

本来は、それを調べることで自分の生活に役立つという思いがスタートとなるのが望ましい。その自覚があれば、予想するのも調べるのもまとめるのも、全部「自分のため」という納得感をもって続けられるからである。実体験や、今後への活用がイメージできるものであれば、実利が期待できる分、やってみようという思いも増すだろう。しかもそれをじっくり進められる時間のゆとりが、夏ならあるんですよ。

突然のゲリラ豪雨でびしょぬれになった経験から、もう雨で困ることがないようにしたいという思いをもった児童がいたとする。その思いを出発点に、空模様や湿度の変化や規則性について調べれば、今後の生活に間違いなく生きる。

せっかく連れて行ってもらったテーマパークが、あまりの混雑と酷暑でほとんど楽しめなかったという経験をすれば、次に行くときに必要な持ち物や留意点、他者の動向や得する裏技など、ニヤニヤしながら調べようとするのではないか。

そういった自分の内から湧いた疑問や困り感を元にし、その解決の道筋を自分なりにまとめたものこそ、自由であり、研究であると私は思う。

こういった実利に基づく考え方を根付かせるには、夏休みが近づいてソワソワしているときではなく、日頃の生活の中で不便を感じたときや疑問をもったときこそが好機である。というわけで、世の保護者世代の皆様、本屋さんや図書館ではなく、日常会話の中で「今日とっても困ったんだよ」や「こういうときどうすればいいの」を大切にすることこそ、望ましい夏の課題との付き合い方につながるというお話です。参考になれば幸いです。

長文にお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。

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