・教室内断捨離
「きょうしろう」と申します。寝具へのこだわりが強く、特に枕はあれこれと悩んでは試してを繰り返している壮年小学校教諭です。健康の度合いは日々のパフォーマンスに直結するという自負があるので、できるだけ疲労を蓄積しない睡眠力を得たいと切に願う日々です。
今回のテーマは、それに関連して児童の睡眠事情についてつづろうかと思ったのですが、その前に前回の「教室内掲示」についての私見の続編を先に書くことにしました。ただし掲示ではなく、整理整頓の分野に関わるパワーワード「断捨離」についてです。お付き合いください。
教員は毎年3月末にプチ引っ越しをする。それまで1年間過ごした教室から離れ、次に担任する新クラスへと私物を移動するのである。テレビドラマでも、多くの職種での異動・退職のシーンはよくあるが、そういった場面ではだいたい両手で抱えられるほどの段ボール箱1つにちょうどよく私物が納まっている体である。それってどの業界でもそうなんですかね。
もし「段ボール1つ程度がデフォルト」だとすると、教員の世界はかなりイレギュラーである。段ボールでいえば、おそらくその5倍から10倍はかさむ。たった1年間の生活でも、その教室の中に教師自身が持ち込んだ物品の量たるや、まったく両手で抱えきれるキャパには納まらない。これまで多くの先生方と接してきましたが、段ボール1つで身軽に旧教室を去っていった人を、私は一度も見たことがない。
なぜそんなに私物を持ち込む必要があるのか。身もふたもないが、その答えは学校備品が不十分だから、である。音楽で使用するラジカセだったり、普段の生活に欠かせないセロハンテープや鉛筆削りだったり、そのほかいわゆるオフィス用品や文具類は、軒並み教師の私物でまかなっている。私は以前、3階の自教室から1階の事務室まで都度降りていくタイムロスを避けるため、教室内にロールカッターの裁断機を置いていた。教室のオルガンが壊れていて使えないなんてことも決して珍しいことではないので、自前のキーボードを持ってきていたこともある。私はまるで門外漢だが、ギターを常備している教員も一定数いる。
だが、こういった私物の8割方は、おそらくなくてもそれほど困らない物品である。セロテープや鉛筆削りだって、ほとんどの児童は自分のものを毎日持参している。つまり「これがあると便利」「きっと役立つ」と思って教室に持ち込んだ数々のアイテムは、もはやあまり使われなくなったいまでも、惰性で教室内に居続けているというのが実状なのだ。そして年度末に取捨選択の機会を持たないまま、次の教室、または次の学校へと機械的な移動が繰り返されているのである。
ちなみに教員は、旧教室から新教室へと私物を移動する際、すべてを両手で抱えて運ぶのは非効率なので、荷物運搬用のカートを利用するのだが、その時期は学校中で先生方が引っ越しシーズンなので、カートの空きがないことも多い。そうなるとつい使いたくなってしまうのがキャスターのついている給食の可動式配膳台である。これ、かなり便利な代用品で私も以前よくそれの上に荷物を載せていたのだが、学校栄養士の方からNGという指摘を受けた。理由は2点。食品用の台なので、他の物を載せること自体が不衛生であるという点と、積載許容量を超える荷物を一度に乗せると、反ったりたわんだりする可能性があるという点。なるほど、以後控えます。
いえいえ、そもそもそんなに大量の荷物を持ち込まなければいいというのが根本です。
そこで少し前、学校から学校へと異動となった際、思い切って全体の荷物量の7割を処分してみることにしました。正確には5割程度を処分し、2割を自宅に持ち帰るという形だったのだが、それにしても新天地に持ち込んだのは、これまでの30%程度しかないのだから、身軽になったという実感はもちろん、異動先でも私の荷物の少なさを見た他の先生方に「え、これだけですか?」と驚かれた覚えがある。大事なのはここからです。
これだけ減らしても、その後何かで困ったということはまったくない。しかも自分の持ち物が把握できているため「もう持っているのに新たに持ち込んでしまう」という事態も避けられるようになっている。減らすことで増えてくるヨロコビを味わえている気がする。唯一困っているのは自宅に持ち帰った2割が、結局そのまま積まれているという事態のみだ。
さあ、世の先生方!後に続きたまえ。断捨離は物理的なデトックスだけでなく、むしろメンタルが軽くなるというメリットがとても大きいのだから。
今日もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。
コメント