「きょうしろう」と申します。不安と不満のない人生を送る早道はないか、それは一体どこをどうたどる道かと、日々頭を悩ませている現役小学校教師です。
このブログもついに投稿数50に届きました。細く長くをモットーに、今後も続けていこうと思います。そんなアニバーサリーな今回のテーマは、児童からの反発に対する受け答えについての考察です。中でも不満をダイレクトにぶつけてくる「なんでいつも俺たちばっかり、注意されなくちゃいけないんだよ!」という声に、どう答えたものかを深掘りしてみます。
「なんで俺たちばっかり」という不満が教師にぶつけられるということは「他にも同類がいる中で…」という前提があることになる。もし本当にそうだとすれば、不公平感が募るのは道理。なんらかのルール逸脱が大人数に見られる中で、悪い意味での代表という扱いがなされ、他の児童にはおとがめなしなら怒りも湧くだろう。
それでも教師は、全体ではなく、その中の特定の一団に向けて指導の声かけをする場面は確かに起こる。
混乱のないよう、整理しながら考えてみることとする。
もしその逸脱行為が、例えば「決められた時間が過ぎているのに、ほぼ全員が離席状態である」など「一様で均一的に広く行われている場合」なら、そもそも全体への指示を出すことになるので「俺たちだけ」に指導の手が伸びるという不満を持たれることはない。
では、教師がある特定集団に向けて注意をする場合とはどんなパターンか。
「そもそも逸脱行為は、その一団のみの場合」
「同じような逸脱はチラホラ見られるものの、ほかの集団は自己規制が働くことが予想される一方、その一団だけは悪目立ちが増長し始めている場合」
「他にも逸脱者はいるのだが、明らかにその一団の行動が顕著で目に余る場合」
分類しておいてなんだが、どのパターンでも「なんで俺たちだけ」の不満は結局起きる。勝手な想像だが、その一団にしてみれば「今回は確かに自分たちが目立つけど、前に似たようなことをしていた人たちもいた」なんて思うのかもしれない。
いずれにせよ「なんで自分たちだけ」という不満が噴出するのは「自分たちが虐げられている」「自分たちばかり損をしている」という意識の強さゆえだろう。
教師の側からすれば「いえいえ君たちの行動さえ改まれば、何も問題はないのですよ」といいたいが、その言葉を発したところで響くはずもなく、平行線となることは避けられない。そして次回、また同じ不満が噴出されるのである。
それでも指導せざるを得ない場は当然ある。ゆえに「自分たちばっかり」「俺たちだけ」というマイナス意識が強い児童に対応する際に心がけているのが以下の2点。
1つめは「注意の対象を『人』ではなく『行為』に限定する」という点。つまり、すったもんだがあったとしても、最終的にその逸脱行為が収まったのなら、そこで指導を終えるということ。「だいたいお前たちは、ついこの前も…」なんて蒸し返すのは禁句ですよ、ということである。
どちらにせよ、そのすったもんだを長引かせたくないというか、そのゆとりがないのが学校という組織の時程なのです。となると、できるだけ短時間でまとめたくなる教師側から、つい「なんで君たちはいつも私の話を聞かないんだ」なんて言葉が口をついてしまいそうになる。
断言してもいいが、もし児童が教師の話を聞かないことに理由があるとすれば、それはつまり「聞きたくないから」という一言に帰結してしまう。
そこで見方を変えてみる。「話を聞きたくない」相手に一方的に話しを続けても、歩み寄りが期待できるとは思えない。だったら「話を聞け」ではなく「話を聞かせろ」ではどうか。「なんでこんなことをするんだ」ではなく「何かあったのか?」「何で困ってる?」なんて声かけに対してなら「だって先に向こうが…」なんて言葉が返って来る可能性はだいぶ高くなる。
つまり心がけていることのもう1つは「共感できる点を見つけること」である。逸脱行為への注意は必要だが、そんな立場にいる教師自身も、かつては何かしらやらかした一人の稚拙な存在だったのだから「ああ、それ分かる!」と認めてあげられる着地点を探すのである。
もちろん、その行為により、他者が迷惑をこうむっている場面が大半なので、ある程度話を聞いた後で、自分たちの行動について「社会に所属する一人」として振り返らせる時間はほしい。というより、ある程度話を聞いた後でなければ、自分が損をしていると考えがちな人にとって、自分の行動を振り返ること自体、かなり困難なのです。
つまり大切なのは「なんで俺たちばっかり」と、感じさせないような聞き取りのスキルというか、こちらの構えであり、そこまで持っていく心と時間の「ゆとり」なんです。が!学校という組織の時程がそれを許さない。
あらら、結局そこに尽きるのですね。
児童の不公平感から来る不平不満の噴出を最小限で食い止めるには、教師がある程度飲み込んだり、傾聴の意識を損なわずに相対したりすることが、時間を要するようで結局のところ早道となる。フラットな状態で話を聞くことの難しさは承知しているが、説教したくてウズウズしているような教師の言葉は、どうしたって相手には刺さらないのだから、話を聴かせてもらうことに注力しましょうよ。
その日は、険悪な表情でムスッとしている児童だって、翌日、ひいきのプロ野球チームが勝った後なら、和やかな表情を見せてくれるものです。「同じ土俵で戦わない」を常に持ち続けていれば、結局は王道の早道を制することになるわけです。かわいいもんでしょ、12才の少年少女って。
今日もまた長文に最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。
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