ボール運動の好き嫌い両極化についての私見

体育科考察

「きょうしろう」と申します。ベテランと呼ばれる領域に入ってからの方が長いのではないかと思えるほどの足跡を、現在も継続してたどっている現役小学校教員です。今回のテーマは体育「ボール運動」における「全体のスキル底上げ」というか「そのための制限の工夫」というか、とにかくどうしたら「体育キライ」「特にボールゲームいやだ」を払拭できるかについての分析序章です。

他の領域にも共通することではあるが、殊にボールを使ったチームスポーツは「好きと嫌いが両極化する」という傾向が強い。原因を考えてみる前に、ひとつ目からウロコに思い当たった。そもそも小学校で扱うボール運動は、どれも「チームありき」で成り立っているではないか。テニス、バドミントン、卓球など、個人で戦う(こともある)スポーツって、そういえば学校で扱わない。あれ、なんでだろう?

「チームで力を合わせてこそ!」的な精神論がもてはやされることは、かなり前から実感としてないので、これからもないだろう。となると、単純に効率化の理由からか。一人対一人のゲームを30人の学級で行うとなれば、つまり15コートが必要となる。加えて用具もかなりの数量を揃えなければならないわけで、その確保の煩雑さから、避けられているという理由なら、合点はいく。確かにクラブ活動で「バドミントン」や「卓球」は存在するが、かなり狭苦しい中でのラリー練習だったり、用具は「悪いけどできるだけ各自で持参して」なんて頼まれたりするのが一般的に思う。自由選択の範疇なら、なんとか個人スポーツでも成り立つというところか。

いえいえ、この話題は本筋ではないので、もとに戻します。今回はまず「チームスポーツの好き嫌い両極化」についての分析ですって。

ここでいう「好き」はなかなか分析しづらい。「なぜ好きか」という問いかけに対して「楽しいから」以外に理由が思いつかないからである。「体を動かすのが好きだから」「地域の○○クラブに所属しているから」「ゴールを決めるとスカッとするから」などなど。選ぶ言葉は多様なれど、結局どれも根本は「楽しいから」に帰結する。

逆に「なぜ嫌いなのか」と問われれば、そこに対する返答の要素は複数あるように思う。「運動が苦手だから」という直球の理由と並んで多いのが「チームメイトからの叱責・怒号への恐怖」である。どう動いて分からない児童に対して「何やってんだよ」「さっさと動けよ」なんて声をかけてしまう児童、きっと皆さんのクラスにもいたことでしょう。「さっさと動け」なんていわれなくても、どう動けばよいのかが分かれば、いわれる前に動いてますって。へたに動いてまたそっちの意図と違ったら、さらなる罵倒が来ることが予想されるから、せめて自分の存在を消してその場に止まっていようという思いが働く。最低限、相手チームのパスやシュートを防ぐ素振りを見せれば、多少なりともチームのために務めていると思ってもらえるかもという気持ちで、申し訳程度にその場を行き来する。そんな心情が垣間見える試合運びの中、技能の高い、または経験値に勝る一人か二人が、軽やかにボールを扱ってゴールを決めるなんてことが、ボール運動におけるデフォルトとなっているわけです。

嫌いな児童にしてみれば、苦痛な時間であることは想像に難くない。その実状は、私がベテランと呼ばれる領域に入る前からもちろんあったわけで、どうにかしたいという思いも常にあった。ここでいう「どうにか」は、罵倒や叱責の防止という、巧者側への規制の意味だけでなく、むしろ苦手児童側の意識改革及びスキル底上げといった意味が多くを占める。

再度分析です。「苦手なのは動きが分からない・分かってもその通りには動けない」というスキル面の原因と、チームメイトとの人間関係という原因の両面がある。それ以外の「苦手な理由」として思いつくものとしては「ケガのトラウマ」やら「野球愛が強すぎるが故のアンチサッカー精神」などが思い当たるが、どれもここで語る本質とは乖離があると思われるので、前述の2つに絞らせてもらう。

ネガティブな声かけに対する規制については、むしろ逆に「ポジティブペップトークの推奨」が重視されることが多い。たくさん声を出したチームにボーナス点を付与する特別ルールを設けたり、活動後の振り返りでそういったチームを全体に紹介したりすることで、児童の意識をそっちに価値づける工夫である。私が取り入れた特別ルールで、自分でもこれはアリだったと思ったのが、単純に「先生から見て楽しそうだったチームに1点プラスする」という超主観的なそれである。この無責任なほどの緩さが受けて、かなり盛り上がった記憶がある。「自分たちの楽しさが表れているからこそ、先生もオマケしたくなるんだろうね」なんて思ってもらえたということなら嬉しく思う。

ではもう一点の原因「スキルの低さ」についてはどうか。「どう動けばよいのか分からないから動けない」という児童のマイナス意識を払拭し、技能を底上げするための方策について考えてみる。

いや、みない。長くなりましたので、スキルアップの施策アレコレについては次回改めて記すことにします。今回もまた、最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。

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