児童のトイレ事情変遷についての考察

児童実態

「きょうしろう」と申します。夜間低血糖らしく、夜中の中途覚醒が続くのがうとましくてしかたない現役小学校教諭です。今回のテーマは児童のトイレに対する「ハードルの低さ」についての長期的観点での考察です。ご自分の小学校時代と比較しながら読んでいただければ幸いです。

結論からいえば「学校でトイレに行くことに対する心理的ハードルは年々低くなっている」この一言である。令和に入る少し前辺りから感じていたことではあるが、この傾向はさらに顕著になっているように思う。

自分が子どもだった頃、学校でトイレに行くというのは休み時間または5分休憩の間のみだと勝手に制限していた記憶がある。それ以外の時間に席を立つことが、心理的に大きなプレッシャーになっていたのだろう。つまり友だちの目が気になっていたということ。

大人になって思えば「そんなことを気にしていたのか」とおかしくなるが、その頃の未熟な社会集団の中で必死に生きていた自分からすれば、トイレひとつが大きな落とし穴のように感じていたのだろう。

そう考えると、いまの子どもたちの自由奔放なトイレ事情は歓迎すべきものだと思える。給食を食べ終わり、自分の使った食器をワゴンに片づけた直後の児童が「先生、おなか痛いからトイレ行ってきます」と教師のもとに来る。「行っトイレー!」と送り出すやりとりが連日繰り返される。この光景はつまり教室が「安心空間」になっていることを示している。

年々ハードルが下がっているゆえ、食後だけでなく、授業中にも子どもたちは私のもとに来て小声で告げる。「先生、おなか痛くなっちゃったので…」と。

正直、こうして訴えてくる腹痛がどこまで深刻で緊急性が高いかは眉唾なのだが、そんなことは些末事であり、むしろ脂汗が出るほど腹痛のつらさをがまんしている児童がいる方が問題は大きい。

それでも授業中、何度もトイレに立つ児童がいるなら、穏やかな口調で「明日も続くようなら休みなよ」と伝えるくらいはする。それほど深刻でないトイレ往復なら、その一言でほぼ沈静化する。それでいいではないか。

器の大きい児童は給食を食べている最中にトイレに立ち、戻ってきてまた普通に食べ始める。そういった豪快さも歓迎できるくらいには、こちらの器ももっていたいと改めて思う。

今回もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。

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