「きょうしろう」と申します。土日の方が忙しいと感じるほど、プライベートが充実?混沌?としている現役公立小学校教員です。今回のテーマは、子どもからまったく邪気のないこの一言が発せられたとき、ついつっけんどんな反応をしてしまいたくなる自分への提言という位置づけの内容です。
タイトルに書いた「先生、雨降ってきたよ」の一言は、屋外での活動中であれば、児童がごく普通に発したくなるものである。でも私は、ひょっとすると他の同僚諸氏も、この一言をかけられるたびにむっとしてしまう。「いわれなくても分かってるよ」という一言を返したくなる。
実際は「え、本当に?」なんてとぼけてみせるのだが、内心は穏やかでない。むっとする理由は、現在進めている学習活動が雨で中断せざるを得なくなるかもしれないことを、教師はもうとっくに想定しているからである。運動場の使用割り当てが決まっている体育の授業だったり、中庭で育てている植物の観察を行う理科だったり、またはもっと大掛かりな遠足や校外学習だったりと、機会がそれほど多くなくても、いえいえ、少ないからこそ、そこにピンポイントで「途中から」雨が降り始めるというのは、こちらの段取りが大きく狂う原因となる。
それが分かっているから、教師はいざポツポツし始める前から、何度も天を仰いで雲の様子を確認し、西の空に祈るような視線を送りながら屋外での授業を進めているのだ。
そんな祈りもむなしく、授業の序盤でポツポツし始めると、とたんに子どもたちは「先生、雨が…」とこちらに降雨の一報を入れようとする。「分かっちょるわい。皆までいうな」と思いつつ「あらら、そうですか」なんて言葉でつなぐ。その間にも「継続?それとも撤収?」の二択を天秤にかけているのが教師なのです。
これまでの経験では9割方「撤収すべし」という結果になる。「もう少し様子を見て」なんていっているうちに降りが本格的になるのが常である。残りの1割は、どうしようかななんて考えているうちに止んでくれるラッキーな場合を指す。
遠足や校外学習で不意の降雨に見舞われるというパターンはレアだが、その場合はさすがに即撤収が難しい場面なので、代わりに「雨具出して!」という指示を全体に発することになる。
体育や理科の時間では「教室に戻ってすぐに着替えなさい。それからハンカチでいいから頭を拭いておきな」なんて指示になる。
屋外での活動が中断となると、児童のほとんどは不服のはずなので「先生、大丈夫だよ。すぐやむよ」なんて意見で強行しようとする子もときどきいる。もちろんその大丈夫という主張に根拠があるわけではないが、楽しみにしていた体育がつぶれてしまうのは、やはり口惜しいだろう。実は私自身も「まあ大丈夫だろうな」と思いつつ「それでもいったん戻るよ」と、子どもたちを促す。
教師の側の「大丈夫だろうな」という考えもまた、これまでの経験則である。多くの場合、教室に戻って着替えたり、頭をゴシゴシと拭いたりしている間に、さきほどまでの小雨が止んでいるというパターンである。「ほら、だからいったじゃん」という先ほどの児童の声が聞こえてきても、そこはそれ。「また5分後に降るよ」と、悠然として大人な対応を心がけまする。根拠のない者どうしの水掛け論は、余った時間の浪費にしかなりませんが。
こういった不意の降雨でなくても、こちらが懸案しきりの状態でいることなど露知らず、無邪気に「ねえ先生…」と、こちらが先刻承知の情報を寄せようとする児童はどのクラスにも一定数いる。それが分かっているのだから、なんとか心乱されることなく大人な対応をしたいと思うのだが、なかなかこちらに心的なゆとりがない状態だと、適当な切り返しの常套句が浮かばない。
児童以上のテンションで「やばいぞ、困った。どうしよう?」なんて慌てて見せてみるのも1つ。「へーそーなんだー」と、あえて無関心で気のないそぶりをしてみるのも1つ。「じゃあどうする?」と逆に決断を迫ってみるのもありか。
TPOによるのは当然だが、あれこれと試してみながら、壮年教師はこれからも一歩ずつ大人の階段を上り詰めていく所存です。
今回もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。
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