月曜日ローテンションへの対策

児童実態

「きょうしろう」と申します。幸いなことに、自分自身は月曜の憂鬱というものから、しばらく遠ざかる日々が続いています。今回はその理由の分析と、児童への流用の可否についての考察です。

これといって明確な理由が思い当たるわけではないのだが、ここ数年、日曜日の夕方にさいなまれがちな「ああ、明日からまた学校か…」の落ち込みを感じることがほぼない日々を過ごせている。まあ、研究授業やら何らかのプレゼンやらと、普段以上のプレッシャーを感じるときには、そういった日もあるにはあるが、それは「月曜日の憂鬱」とは質が異なるものである。

では、なぜ自分は、ままありがちなテンションロー(ローテンションと書こうかと思ったのだが、ローテーションと混同しそうなので、あえて入れ替えてみた!)を免れることができているのか、明確ではないながらも、理由を考えみると、いくつかこじつけられることがあるにはある。

1つめは「学校での楽しみを見つける」ことである。児童に当てはめてみれば、または若い教員に当てはめてみれば、恋愛の対象となるようなクラスメイトや同僚を見つけることが、もっとも早道だろう。いえいえ「若い」と限定することはないか。

ほかにも、月曜日の朝にクラス対抗の学年集会を組み込んでみたり、大掛かりな図工の作業を入れてみたりと、多少なりともワクワクが増す要素を、意図的に月曜に集中させることで、ある程度はため息が減るのではないかと思われる。実際に予定を組む教員も、調理実習やら球技大会やら、何かしらテンションが上がる活動が入っていると、それだけで月曜を迎える心情に違いが生じるのは確かである。

つまり教員も、普通に過ごしていると月曜日ってそういう日なんですね。

テンションローを避けられている理由の2つめは「肩肘はらずにポレポレで迎える」というもの。

「月曜日だからって落ち込んでいないで、元気出してがんばるぞ!」という気負いをもつのではなく、むしろ逆で、月曜日にはそれほど気合を入れずともこなせるような内容を多く取り入れたり、そういった内容でなくても、教師の側から「気楽にやろうよ」なんて投げかけたりと、児童も教師もが脱力できるような雰囲気で進めてみるというもの。月曜の朝、これを意識していると、気分が楽になるだけでなく、いつの間にか、週はじめではない、普段の自分のペースを取り戻すことができていることに気づく。児童への「当たり」も柔らかくなると思われる。

3つめの方法は「週末の過ごし方を変える」ことである。目が回るほど忙しくて、休みの日も仕事のことやクラスのことが頭から離れないのが「教員あるある」だとすると、対処法として考えられるのは2つ。「だったら休み返上で明日以降の仕事の下準備をいまのうちに…」という終わりの見えない仕事の続きに身を置くか、それとも「いいや、休むのも大事な仕事」と割り切ってしっかり体を休めるか。

この2つの対処法は、自分自身が長きに渡って行き来してきた方法である。正確には「この2つしか思いつかなかった」ということ。しかしこの2つ。どちらも致命的な欠陥がある。前者の場合「せっかくの休みが台無しになってしまった」という後悔。後者なら「準備不足のままで月曜日を迎えることになってしまう」という後悔。いずれにせよ、先立つのはマイナスの感情ということになる。

ではどうするのが正解か。そんなこと、それぞれで決めればいいのだが、私自身はここ数年、週末の外出を極力増やすようにしている。電車に乗る機会や、せまい路地のコインパーキングに車を停める機会が増えることで、職場以外の空気や町の雰囲気に触れたり、自分を知らない人とのいっときの交流を楽しめたりすることを知った。この年になって人間としての幅が広がり、バランスがとれてきたという実感が持てたのは大きい。

直接的な仕事に費やすわけでも、ひたすら休息に努めるわけでもない第3の選択肢を、昨今職場の同僚諸氏、主に若手の面々に向けて、ことあるごとに推奨することにしている。

月曜を嫌う子どもたちに対して、直接効果がある方法かといえば、そうではない。だがこうして教師が「月曜日もまあまあ楽しみ」という姿勢を継続することにより、いつの間にか「ぼくたちもそんなに月曜が嫌いじゃなくなった」なんて感じてくれるかも、という期待はもってもいいでしょう。

そんな様子が見られたら、教師の側の月曜テンションローも、さらに軽減するという好ましいサイクルにつなげていけるといいですね。

なんて無責任なまとめの今回も、最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。

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