「きょうしろう」と申します。ずっと昔から「寒さに弱く、冬が嫌い」だった自分ですが、このところ「暑さへの耐性」も減ってきていることを痛感しています。でも夏は好きです。きっとそれは一生変わらないですね。
今回のテーマは「児童の挙手と、それに対する教師の指名」についての考察です。お付き合いください。
「俺に任せろ」という自負で、発問のたび、または誰かの意見が一区切りつくたびに、勢い込んで挙手してくる積極タイプをAとする。
やや落ち着きがあって、友だちの意見をもとに、それとの共通点や相違点について意見を述べられる児童をBとする。ちなみにBタイプは、難題への苦慮でみんなの意見が止まったところで、ゆっくりと登場するなんて高難度な挙手スタイルを見せてくれることもままある。
Cタイプは、挙手はほとんどないが、体も耳も目もこちらに向けているタイプ。ちゃんと話を聞き、友だちの意見を理解しようとしているので、不意に教師の側から「〇〇君、いまの意見どう思う?」なんて振ってみても、大体は返答できる。課題の理解も十分で、しかも自分なりの意見も持っているのであれば、もっとそれをアウトプットしてほしいという願いは教師の側にあるものの、そこは本人の気分次第でよいと捉えている。
挙手をしないのはもちろん、話を聞くのも気乗りしないというDタイプの児童も一定数いる。そういった子たちに、なんとか授業への参加意識を持たせるため、日々教師の面々はあれやこれやと試行錯誤を繰り返しているのだよ。
試行錯誤の手立てとしてよく取り入れられるのが「あらかじめノートに自分の考えを書かせておく」というもの。これによって、児童はそれほどあわてず困らず、意見を述べることができる。
もう1つよくあるのが「お隣さんとの意見交流」である。これも意見表出のハードルが下がる手立てとして、私自身、よく活用するものの1つである。
ここではそれ以外に私が行っている例を3つ紹介したい。
1つ目は次の指名を予告しておくこと。「いま手を挙げてくれている〇〇さんの意見を聞いたら、その後で君の意見を聞くからね」という具合。少なくともその場合、予告されている彼は、いま発言している〇〇さんの意見だけは聞こうとするし、それに対して「ぼくも賛成です」や「あんまりよく分からなかった」程度のリプライも期待できる。だが、その難関を越せば、また集中が途切れてしまうことはままあるが。
2つ目の手立ては立場の明確化。つまり、ある意見に対して賛成・反対のどちらに属するか、全員に問うというもの。これにより、それほど責任を伴わず、多くの児童の手に紛れる形で自分の考えをアウトプットできる。だが多くの場合、賛成にも反対にも手を挙げないというツワモノもいる。先に賛成側、その後で反対側という順序で挙手させた場合、どちらにも手を挙げない児童がいたとしても、それが誰なのか把握するのは困難である。こちらであらかじめ「あいつ、ちゃんと手を挙げるかな…?」なんてチェック対象を決めておけば別だが、そうでない限り、せっかく全員の参加を企図してその場を設けても、もれてしまう児童が出てきてしまう。なので、そんなときのために「賛成の人はグーで、反対の人はパーね」なんてルールをその場で決めて、全員一斉に「じゃんけん…どっち?」なんて意思表示させるなんてことも行う。これだと、グーもパーも出していない児童を見つけるのは容易になる。
だが、挙手を避けたがる児童、この場合だと「賛成にも反対にも属さない児童」には、そこにそれなりの理由があるのかもしれない。つまり「どちらともいえない」という選択肢である。そんな児童がいる可能性も考え、選択肢はかなりのバラエティを用意する。「賛成」「反対」「どちらともいえない」「よく分からない」「それ以外」といった具合。第5の「それ以外」を選ぶと「ではどんな意見なの?」と突っ込みやすい。児童もその辺りはもう理解していて、自分の考えを発表したい子はあえてそれを選ぶなんて駆け引きも行われる。いずれにせよ、意見を表出しやすくする手立てとして、立場の明確化は有効だと思う。
第3の手立ては、一度本筋から外れてみるという荒業。授業に集中できていない児童は、それまでの学び合いの流れに乗り遅れているため「どういう展開でここまでたどり着いたのか」「いまどんなことについて意見交流をしているのか」が理解できていない。
そこで一度、思考の流れを止めてみる。「0.4Lの水と1.7Lの水を合わせるんだよね…でもちょっと待て。水と水を合わせても…ただの水だな。何と何を合わせてみたい?」なんて具合。途端に「コーヒーと牛乳!」「お茶とコーラ!」「ピーチとマンゴー」「シャインマスカットと…」なんて声がいくつも上がる。その中で任意の組み合わせをみんなで決めて「せっかく一度書いたけど、ノートの問題文をお茶0.4Lとコーラ1.7Lに書き換えて」なんてことを告げる。すると、先ほどまでノートを閉じたままだった児童も、このタイミングで問題文を写し始めるようになる。
こういった手立ては、その都度時間を要するものであり、また、いつでも参加意欲の向上につながるわけではない。それでも教師は常に「次の一手」「新しい秘策」を考え、試しながら日々を過ごしている。たまに味わえる手応えの快感を知っているからである。
AからDのタイプ,またはそれ以外のEやF,様々な児童がいるからこそ、学校は面白味が増す。様々なタイプへの様々な手立て。今後も教師の面々は考えることをやめない。おつかれさまです。
今回もまた、最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また、お会いできますように。
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