いわゆる「学級通信」「学級だより」の書き方についての提言

教師の実状

「きょうしろう」と申します。このブログを続けていることからも分かるとおり、自らが発行する学級通信にはこだわりが人一倍強いという自負があります。

そんなわけで、今回のテーマは学級通信の書き方についての提言です。書く目的や意義について、あまりコムズカシクならないように綴ろうと思います。お付き合いください。

提言なんていわずとも、そもそも学級通信には定型があるわけではない。教員それぞれが自分の好みやこだわりで書いていけばそれでいいものである。まあ、振り返るとこの十年で、回議やら管理職の校閲やらが厳格になったことは強く感じるが、それでも書き方は基本的に教員裁量である。「書かない」という選択も、発行の回数や文章量なども、すべて同様。つまり「出したければご自由に」という領域である。

働き方改革という言葉が身近なものとなってきたいまとなっては、この仕事は真っ先に削れるものだと、私自身も思う。

ちなみに私は、初任者として最初のクラスを担任したとき、自分で「毎週1号ずつ、同じペースで発行する」と決めたことをずっと守っているのだが、そもそも文章を書くという作業が苦ではないタイプからこそできていることだろう。

これまで一緒に学年を組んできた同僚諸氏は、ほぼ皆さん学級通信を発行しているように記憶しているのだが、同じペースでコンスタントに書き続けている教師は、かなりの少数派である。

ではなぜ自分は、ずっとそれを続けてきているのか。まあ、自分で決めたからといえばそれまでだが、それでは「発行の目的」の説明になっていないので、もう少し深掘りしてみる。

定期発行する意義は大きく3つ。

1つめは、学級の取り組みや成果を、保護者に知ってもらうことができるから。なんとも当たり前な理由だが、学級通信なのだから、クラスでの取り組みや成果を伝えるたよりだというのが前提である。保護者に対して「いま、このクラスではこんなことを継続しています」「こんな課題を、みんなの力でこう解決しました」「こんな努力により、これだけの成果が出せました」などなど。場面の様子に加えて、そこに立ち会う教師の気持ちまで含めて記す。それを読む保護者の頭の中に、そのときのイメージがわいたり、その通信をきっかけに「ねえ、ここに書いてあることって、本当なの?」なんて会話を、親子で始めたりすることまで期待している。

ここである程度の文章力が発揮されると、毎年数名、保護者の中に「先生の学級通信、毎号楽しみにしているんです」なんてコアなファンも現れる。伝える内容とその伝え方により、味方が増えることは意義深い。「伝える」ことで理解や共感を得やすくなるというのが、広義でいうところの1つめの理由である。ちなみにこれは保護者目線。

2つめは「ずっと同じペースで書き続けることを、最初に自分で決めたから」または「ここまでそれを守ってきた以上、やめるという選択肢が自分の中にないから」という理由。

つまり、あくまで自分の都合や自分のこだわりのためだというもの。教師目線の理由といえる。

そして学級通信を書く理由の3つめは、児童の目線。

個人的な話になるが、私の学級通信は、毎号児童に語りかける形式で書いている。「君たちと出会って、あっという間に半年がたちました。この半年で、君たちがどれほど成長してきたかを思い起こすと…」といった具合。つまり教師から児童への手紙の体で記しているのである。自分でいうのもおかしく聞こえるが、この書き方もかなりレアだと思う。だがこの書き方であれば、毎号子どもにとって、この文章を読む抵抗感は確実に下がる。

子どもに読ませることが第一の目的ではないものの、子どもも読めるものであれば、保護者にも読みやすいという利点がある。そもそもここに書かれている内容は、当たり前だがクラスに関わりのあることなのだから、当事者である児童個々も、いわば登場人物の一人としての立ち位置で読み進め「あのときはぼくもうれしかった」やら「あんなに大変なことは二度とやりたくない」などと、自分なりの思いをよみがえらせる一助にもなる。それを児童自身の言葉でアウトプットさせることで、取り組みや成果を確認したり振り返ったりする場にもなる。これもまた、家庭に戻ってから話題に上りやすくなるのではないかという期待が込められている。

多くの場合、教師が学級通信を書く理由は、保護者への通達や連絡のため、つまり保護者目線のものだろう。だが書く目的がそれのみだとすると、そもそもそんなに発行する必要がないことに気づく。削れる仕事なら、そうしてもいいのではないかと考える。私もそう。むしろ私は他の教師以上に「超効率主義」だという自負がある。本来ならやる必要のないタスクを、長いこと続けているのは、保護者への通達以外にも自分の中に「やる理由」「やりたい理由」があるからである。

それを継続することで、ほかの効率化がはかれるという算段が働いているともいえる。毎週、クラスの様子を保護者に伝えておくことで、家庭内での会話に学校トピックが増えてくれれば、こちらにとって決して損はないだろうし、なにより自分自身が、クラスでの取り組みの意図や悩みなどをオープンにすることで、理解を得やすくなるのもプラスである。

そんなわけで私個人としては、三方芳の精神で今後も続けていく所存である。またまとまりのない文章になりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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