「〇〇なくなっちゃった」という訴えに対する考察

児童実態

「きょうしろう」と申します。職員室で、同僚諸氏が「ええと、あれだよあれ、何だっけ、名前が出てこない…」なんて会話をしていると「うん、分かる分かる」と、傍で同意しまくりの壮年現役小学校教員です。物忘れが壮年にとっての避けがたい事態だとして、では「モノの紛失」というトラブルの場合はというと、むしろ子どもの方が頻度は高い気がしています。今回のテーマは、子どもの所持品紛失について、自身の経験から考察してみます。

1日1個とまではいかないにしろ、週に何回かは「先生、〇〇がなくなっちゃった」という訴えが来る。そんなに紛失しているのに、なぜまだ在庫があるの?とツッコミを入れたくなるほどの勢いだ。この場ではツッコミを控えることにして、よくある紛失物を分類してみると、大きくパターンは3つ。

1つ目は「学校と自宅を常に行き来しているもの」つまり教科書・ノート・筆箱の類である。2つ目は、体操着やリコーダーなど、基本的に学校に常置しておくもの。そして3つ目が「特別なときにのみ学校にもってくるもの」例えば学級費の入った封筒や、家庭で記入して学校に提出しなければならない書類などがそう。

3つ目のパターンなら、かなり神経質になる。教師も一緒になって探すし、それでも見つからない場合は保護者に連絡をとって確かめることになる。まあ、いくら探しても見つからない場合の大半は「なくなっちゃった」のではなく「持ってきていなかった」なのだが。

1つ目の教科書類も、大方は同じである。つまり本人は持ってきたつもりなのだが、実は家に置きっぱなしだったというもの。うがった見方をすれば「書写の教科書を持ってくるのを忘れました…」というより「お家を探したんだけど、見つかりませんでした」の方が、教師への訴えとして体裁がよろしいと考えているのかもしれない。確かに教師の側としては「探してもなかったなら、しかたないね」といってやりたくなる。「帰ったらもう一度、お家の人と一緒に探してみな」と付け加えながら。

では2つ目のパターンならどうか。毎回その訴えが来るたび、私は本人の口からクラス全体へとヘルプ要請をかけるよう促している。帰りの会で自ら挙手して「ぼくの体操服の短パンがなくなっちゃったんだけど、誰か知りませんか」という本人からの訴えに対して「名前は書いてあるの?」やら「何色?」なんて質問のやりとりを経て「みんなで1分間、探してみてくれる」と教師から依頼する。

名探偵にあこがれる学齢期児童たちは、まあ、教室やら廊下やら、すみずみまで探してくれる。1番可能性が高いのは、なくした本人の周辺なので、そこを重点的に探す探偵も毎回出てくる。2番目に可能性が高いのは、誰かの持ち物に紛れ込んでいる場合。それも子どもたちは分かっているので、あちこちに散らばる前に、まず自分の荷物の中を検め「確実にここにはない!」ということを確認する。それからほかの候補地もこれまたしっかり探してくれるので、どこかに置き忘れていたり、ロッカーの中でくしゃくしゃになっていたりすれば、1分間のうちにちゃんと見つけてもらえる。近くの児童の持ち物に紛れてしまっていたという場合にも、それが分かった途端、みんながなんともいえないいい表情になる。「ごめん、気がつかなかった…」「いいよ、探してくれてありがとう」なんて会話を聞いたら、そりゃみんなほんわかしますわ。

それでも見つからない場合は、ダメ元で職員室の拾得物にあたるなんてこともあるが、不思議なことに、職員室に置かれている拾得物の中から、目当てのものが見つかることはほぼない。もっと不思議なことに、必ず誰かしらのものであるはずなのだが、職員室送りの拾得物の大半は誰も引き取りに来ない。

つまり探し物の9割5分は当人の近くにあるか、または家にあるかなのである。こんなやりとりが連日日本中の教室で行われています。ですから保護者の皆様、改めてお願いします。所持品には記名を!

本日もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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