なわとび指導についての提言②

体育科考察

「きょうしろう」と申します。いつも行く床屋さんで、散髪中に店員さんから子育ての相談を受けるのが光栄に思えます。雑談がてらでお役に立てるのであれば、いつでもどうぞと思います。

今回のテーマは「なわとび指導の提言」の2回目です。

令和の時代に逆行する根性論で、なんとか1回跳べるようになった二重跳び。そのままひざから崩れてしまわないで、通常の前跳びにしれっと戻ることができるようになった第2段階。間に入る前跳びの回数を徐々に減らしていく第3段階を経て、いざ至高の連続跳躍へと向かうわけだ。前回も触れたが、それができる児童の跳び方には共通点がある。1つ目はジャンプが全力でないこと。

最初は「とにかく高く跳べ」とアドバイスしておきながら、上級者はその逆を行くことに、まだその域に達していない多くの児童は怪訝な表情を見せる。「高くジャンプしなければ、すぐにつっかえちゃうじゃん」と。

そこでもう1つの共通点。それは「なわの操作を手首で行う」というもの。つまり腕はほぼ動かさないということになる。腕を回さないということは、回転の半径が小さくて済むということ。半径が小さければ、それだけ回転の速度が上がるということになる。だから全力ジャンプでなくてもつかえないのである。

まあ、こういった理屈は、一応「コムズカシイけど、もっともらしい理由付け」として児童の耳に入れておくと「へーそーなんだー」と、一応納得らしき反応を見せてくれる。どちらかといえば、納得したというより、上手な友だちの真似をしているうちに、なんだか近づいてきたという児童が多数派だ。それでいいと思う。

ぎこちないながら、なんとか連続で二重跳びができるようになったこの状態を第4段階と呼ぶとすると、ここまで到達した児童は例外なく同じことを望む。「10回跳べるようになりたい」である。

腕の大回しのクセが抜けないと、連続跳躍は難しい。10回となるとまず無理である。だからこれを本気で望む児童は、手首での操作にシフトしていく。それと並行して、ジャンプの高さも多少は低くなる。

だがここで多くの児童に同じことが起こる。全力でない跳躍でありながら、少しでも滞空時間を稼ぐため、自然に編み出された跳び方、名付けて「くの字跳び」である。その名の通り、横から見ると腰を「く」の字に折り曲げて、やや前かがみになるような姿勢で跳ぶのがそれである。

この跳び方ができるなら、こちらとしてはもう十分な及第点だと思う。少なくとも「くの字跳び」をしている児童は、連続二重跳びという難技ができているわけだから。

歯を食いしばって必死の形相でここまで練習してきた児童には「もう十分上達したよ」とねぎらいの言葉をかける。だが、その段階までそれほど苦労なく進んできた児童なら、さらに高次の助言をしたくなる。否、助言ではなく、ただ「くの字にならないように跳んでごらん」というだけだ。

本人には自分の腰が折れているという自覚はない。あるのは、ここまで段階を追ってちゃんと上達し、確かに連続で跳べるようになったじゃないかという自負だ。

その自負に対して「でも腰が曲がってるよ」と、文字通り腰を折る言葉をかける。ほかの友だちに先んじて連続で跳べているのに、ちょっと腰が曲がっているくらい、何が問題なのかと本人は思う。正確には何も問題ではない。ただ、腰が伸びた状態で跳んだ方が長続きするというだけだ。

それを伝えたとき「だったら腰を曲げないで跳んでみる」という児童なら、さらに上達する。

この「脱くの字跳び」を達成した児童は、その後天井知らずで回数を伸ばしていく。だからそうなった時点で、私は一緒に練習するのをやめる。目の前で私の最高記録を抜かれるのは癪だからである。

今日もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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