「目標」と「目的」の上下関係についての考察

児童実態

「きょうしろう」と申します。ベテランと呼ばれるだけの経験年数は確かにあるものの、自分がかつて思っていた「ベテランの風格」は備わっていない自負がある現役の公立小学校教員です。今回のテーマは「目標と目的」についての考察です。以前「目標設定の意義についての考察」で触れた内容の続編です。大げさに「上下関係」と銘打ってみました。お付き合いください。

前にも述べたが、学校は「目標」や「めあて」という言葉に目がない。それを設定する明らかなメリットがあるからである。パッと思いつくのは大きく3つ。

1つめは、関係者全員への統一の方向性を示すことで、全体がそちらに向き合いやすくなるという点。つまり、この目標に向かってみんなで努力しましょうというお題目としての意味。

2つめは、あらかじめ目標という形で全体の了解を得ておくことで、その方向性から逸脱した者に対して、修正や反省を促しやすくするという点。「君の行動は、みんなで決めた目標に反しているよ」といわれれば、「ああ確かにそうかも…」と、素直に自己を振り返ることもあるだろう。

3つめは、その目標があることで、達成の度合いがはかりやすくなるという点。アスリートが成果を出せるのは、ひとえに数値や成果の目標が明確だからであろう。「あと1秒、タイムを縮める」「次の試合で必ず1ゴール決める」など、具体的であればあるほど、結果がそれに伴ったかどうか、はっきりと表れる。逆にいえば、その目標があったからこそ、その結果に至ったという一面も事実だろう。

3つめのメリットについては「気持ちのよいあいさつができる学校」や「いじめのないクラス」といった「全体目標」とは合致していないかもしれないが、行事のスローガンにしろ、クラスの目標にしろ、後で振り返りの機会をもつという点では、同様の効果がある。

こう考えると、目標があることで、向上につながるというのは、確かにいえるのではないか。となると、目標は決めた方がいいというところで落ち着く。ずっとそうしてきたのだから、改めて深く掘り下げる必要もなかったかということになる。

だがここで1つ、もっと根本的なことへの着目が浅かったことに気づく。「目標を設定するよさ」は確かにあるものの、では「目標を達成するよさ」は一体どこにあるのかという点である。「元気な声であいさつができるクラス」という目標があったとして、それを達成するとどんな得があり、どんなよさがあるのか、なかなか考えることはない。少なくとも私は、この視点を気にしたことがなかった。

だが以前から、目標についてあれこれと考える機会はあり、そのたびに頭にひっかかる言葉もあった。「目的」である。「目標と目的」この2つの違いについて、気になってはいたものの、明確な違いを表す語彙や理解が自分にはなかったらしい。

それを私に教えてくれたのはアンパンマンだった。実に単純な分類だった。「何のために生まれて」が目的で「何をして生きるのか」が目標。こう考えると、シンプルで両者の違いがすっきりと理解できる。この歌詞をもとに、学校やらスポーツ界やらに当てはめてみても、違和感は覚えない。まあ、究極の話、生まれてきた目的は「幸せになること」という一言で終始してしまうといえば、そうかもしれないが。

何かの行動をするにあたって、その方向性や到達点を示すのが「目標」だとすると、その目標を達成する意味を示すのが「目的」である。学校生活に当てはめてみると「幸せになるため」というより「楽しさを味わうため」なんて表現の方がしっくり来るかと思う。

まとめると、学校生活において「目標を達成するよさ」は「毎日楽しく過ごすこと」や「みんなが笑顔で生活すること」となる。そのための具体的な努力の方向性を数値や行動で表したものが目標であるというのが、私なりの落としどころとなった解釈である。

この「目的」のために、この「目標」を達成しましょう、という構図が成り立つのであれば、やはり目的は目標の上部に位置すると考えられるが、いかがでしょう?

今日も最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。また次も訪問していただけると嬉しいです。

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