児童にとっての「練習」の捉え

児童実態

「きょうしろう」と申します。毎日充実した教師生活を送っている現役教育公務員です。今回はそんな毎日の生活において、子どもと大人とでは捉えが異なるのではないかと思った事柄についての考察です。

「ジャネーの法則」という、正式な名前がついている心理学用語がある。大人と子どもでは、時間が経過する速さの感じ方に差があり、大人になるにつれ「あっという間に過ぎる」という意識が強まっていくという理論である。5歳の子どもにとって、1年間は人生の20%に相当するが、50歳なら同じ1年間でも2%にしかならない。しかも子どもは日々、未知との遭遇にあふれているため、すべてが新鮮で多くを思い出として記憶していくが、大人にとっては、同じ経験でも印象が浅くなるため、記憶も鮮明でなく、飛ぶように過ぎてしまうという理由もあるとのこと。

だが、毎年教科書が「上」から「下」に代わるタイミングで「半年経つけど、早かった?それとも長かった?」と児童に聞くと、ほぼ必ず「早かった」「あっという間だった」という声の方が多数を占める。この世に生を受けて、まだ10年も経過していない子どもたちからしても、時間の流れはあっという間に感じられるらしい。子どもでも「速い」と感じる「ときの流れ」である。「ジャネーの法則」が正しいのなら、大人はいかんとも図るべきか。

おまけで「この半年でどんなことが心に残ってる?」という問いを重ねると、ここでも共通点が見られる。記憶の新しいもの、つまり最近の経験や体験の方が、思い出として挙げられる率は圧倒的に多いのだ。まあ、当たり前といえなくもないが、大人の印象だと、時間経過よりもインパクトの大きさで選びそうなものだが、子どもの捉えは異なるのだなあと、毎回思う。

もちろん中には、大人に近い感覚で、たとえば運動会や遠足のような大きな行事を挙げる子どももいる。「たくさん練習したから」「お弁当がおいしかったから」など、理由はどれも微笑ましい。

だがここで1つ、私が違和感を覚えることがある。運動会を例にとってみると、もっとも力を入れて取り組む表現運動、つまりダンスについての「練習の意味」である。ダンスに限ったことではないが、練習の意味といわれれば、当然「上達するため」「振りつけを覚えるため」といった辺りに落ち着くはずだ。指導する側もそれを目指して継続している。

だが児童にとっての「練習」とは、大人の捉えと異なっているように思えることが多い。子どもにとって練習とは「ジャネーの法則」でいうところの「未知を経験する機会」という意味に尽きるのではないか。つまり、新しく学んだことを覚えるためにするものであって、もう既に分かっていることを、さらに上達するためにやるという意識は薄いように思えるのである。

だから児童は「あと1回だけ踊ってみよう」といわれれば、確かに楽しそうにその1回に取り組むのだが、もう踊れる、振り付けも覚えているというダンスを反復すること自体、意味あることとして捉えてはいないのではないか。その1回を踊る意味は、それが好きな児童にとっては「楽しむため」であり、そうでない児童にとっては「やろうといわれたからこなす」という以上の意味はなさない。

一方で教師は、その1回に何かしらの意味付けをしようとする。「サビのところで、足をもっと高く上げることを意識しよう」や「移動のタイミングに遅れないよう、しっかり音楽を聴こう」などである。指示を出す大人は「いまいわれたことも含めて、全体としてレベルを上げるよう意識して踊る」ことを期待するが、実践する子どもの側は「それ以外はもうできるから、いまいわれたことに気をつけてやってみよう」という意識で臨む。

これがもっと成長してきて、中学生や高校生くらいになると、野球部員が毎日キャッチボールを続けることにも意味があると理解できるようになるが、人生10年に満たない子どもたちにとって反復練習の意味を見出すのは難しい。練習はあくまで未知だったことを経験したり、難解事項を克服したりするために行うものだという捉えでいるように思えてならない。

子どもに何かを指示したり、課題を与えたりする場合、親や教師は、子どもがそんな意識、つまり練習はあくまでも「できないことをできるようにするための手段」という意識でいるという理解をもったうえで対峙する必要がある。そうでないと、まるで子どもが手を抜いているように見えるからである。だが子どもは、大人とは異なる子どもなりの目的意識の下で課題に向き合っているのであって、その目的を大人が明確にしていないのであれば、そこにギャップが生じるのは必然である。

繰り返すが、子どもにとって同じ内容を繰り返す形の練習は、それ自体に楽しさを感じている場合を除き、前と同じことを、まさに「繰り返すだけ」のものなのである。

スポーツの世界でよくいわれる「練習でできないことは、本番でもできない」という言葉は、ひたむきな反復練習に費やす時間の大切さを表すものだが、もっと幼い子どもの目線でいうなら「練習でできるようになったから、本番はバッチリ!」となる。子どもの時間は、大人の時間よりも濃くて貴重なのかもしれない。

最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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