「きょうしろう」と申します。毎日やりがいとやるせなさの両方を実感しながら、子どもと向き合っている現役小学校教員です。今回の投稿テーマは、自分の胸の内を言語化しきれない児童に対する手の差し伸べ方についての私見です。
そもそも児童が自分の思っていることを、ちょうどぴったりの言葉で過不足なく他者に伝えるということ自体、かなり困難な課題である。たとえば低学年の児童が友だちと何らかのトラブルを起こしたとする。後で本人から話を聞き、自分自身の行動を振り返らせたとき、大方の児童が発する言葉は「ダメ」の2文字である。もっと突っ込んで「何がダメだったのか」「これからどうしたいのか」「次に似たようなことが起きたらどう行動するのか」などなど、順序立てて紐解きながら聞き取っていけば、児童自身も思考が整理されてくる。この丁寧さを惜しむと再発の頻度が下がらないので、時間がかかるようでも必要な措置だと思う。
だが中には、かけた時間と相関なく、話がなかなか進まない児童もいる。大きく2つのタイプに分かれるのだが、1つめはとにかく無言になってしまう児童。そしてもう1つは、話に一貫性がなく、途中で内容が二転三転してしまうタイプである。後者は主に、自分に責があり、それを認めたくないという場合に多いように思う。
前者、つまり無言になってしまう児童の中にも、やはり「責を認めたくない」という気もちから口を閉じてしまうということもあるが、大方は自分の考えがまとまらない、ちょうどいい言葉が見つからないという場合である。
そんなときにも、やはり思考の整理を目的とした聞き取りが有効である。「黙して語らず」という強い意志で口を閉じているのでなければ、答えやすい質問に対し、Yes/Noで首を振らせるだけでも話は進む。私の場合「いまは何も話したくないって思ってる?」という質問から入ることが多い。不思議なもので、この質問で首を縦に振り、ある程度時間を置いたとしても、横に振って、なんとかこの場で収束しようという意思を表したとしても、まず話したいかどうかを確かめるという1ステップを置くことで、児童の落ち着きがある程度取り戻せるような気がする。時間を置いたことで、次の聞き取りはかなりスムーズに進むことも多いし、その場で続けた場合でも、ずっとうつむいていた児童が、上目遣いでこちらに視線を向けられるようになることも多い。
つまり加害の側の児童にも、被害を受けた児童にも、胸の中にそれぞれいいたいことをもっているのだろう。それをこちらは聞く準備ができているよという態度を見せることで、ようやく聞き取りの場が体を成すのである。
こうなると、留意すべきは2つのみである。複数回、同じ話を反復しながら、いま話したことが間違いないかを確認することと、できるだけそのときの行動や気もちに合致する言葉を教師の側が提示することである。その提示のしかたとして、私が常用しているのが選択肢Dである。Dつまり4つ目の選択肢を用意するという試みは、それほど大したことではないのだが、普段から使っているととても有用であることをしみじみ実感できる。
たとえば、なぜそんなことをしてしまったのかを聞き取っている際に児童が言葉につまったのなら「次の中のどれに近い?①悪口をいわれてくやしかったから。②おふざけの軽い気もちでやっちゃった。③そんなことするつもりなかったけど、たまたまそうなっちゃった。④それ以外」
大方は①から③の中にあてはまる理由がありそうだが、もしそうでない場合も、4番目の「それ以外」という選択肢があることで、必ずどれかしらを児童は選べるようになる。もし④を選んだなら、そのときはその児童の「伝えたい」という思いは、むしろかなり強いと考えられる。「正確に分かってほしい」という気もちの表れだと受け止め、さらに的確な質問や選択肢を探すことに努める。
先に書いたが、やはりこういった手立てこそ時間がかかるようで、実は時短につながっている気がする。こちらの聞き取りの時間だけでなく、児童がいつもの明るさを取り戻せるまでの時間短縮という意味も含む。おあとがよろしいようで。
最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。
コメント