指名後の沈黙についての考察

児童心理

「きょうしろう」と申します。現役小学校教師として、教育という誇りある職に携わっている毎日です。今回のテーマは「発言中に言葉が出なくなってしまった子どもへの対応」についての私見です。

自ら挙手をしていても、いざ指名されると何を話したかったのか飛んでしまうという児童はどのクラスにも必ずいる。多くは、指された直後に「やっぱりいいや…」といってすぐに座ってしまうパターン。教師はちょっと肩透かしを食ったような気分になってしまう。

その他のパターンとしては、途中まで説明しているうちに、最初にいいたかったことを忘れてしまい、だんだん方向性が定まらなくなって、そのうち「分かんなくなっちゃった…」と告げるというもの。積極性ゆえのズレかと思われるので、温かい目で見てやりたいと思う。

もう1つのパターンは「立ったまま、ただ無言」という場合。控え目な性格の児童に多い。こちらとしてはそれほど挙手の回数も多くない児童なので、せっかく挙げてくれたこの機会にぜひ!というつもりで指名するのだが、一度沈黙の沼に入ると、自力では上がれない。

まあ他にも少数のパターンはいくつかあるものの、総じていえるのは、あまりこちらが待ちの姿勢を見せない方がスムーズだということ。何らかの理由で答えられなくなっただけなので、また次の機会に声を聞かせてもらえればいいこと。ただしこれはあくまで授業中、教師からの発問に対するリプライの場合であって、児童を個別に呼んで何かしらのトラブルを解決しようとしているときなどは「待ち必須」である。それについてはまた別の機会に記そうと思う。

翻って、授業中の「分かんなくなっちゃった」への対応について。その場合の待ちはそれほど必要ないとは思うのだが、そのまま何事もなかったかのように別の児童を指名することは、実はまれである。

つまり何かしらの声かけはしたい。具体的に自分がすることは大きく3つ。

まず、自分自身の聴力を疑うこと。実は私、人間ドック受診のたびに聴力検査で「要観察」や「要再検」の所見がつくので、ひょっとするといまの発言も、こちらが聞き取れなかっただけで、実は答えてくれていたかもしれないと考えてみるわけだ。その場合は促し方のニュアンスとして「早く答えなさい」寄りではなく「聞き取れなかったんで、もう1回いってもらえるかい」寄りのやわらかさが表れる。

まあ、ほとんどの場合、聞き取れなかったのではなく、そもそも口を開いていないのだが、ときどき本当に小声ゆえの聞き漏らしもあるにはある。そんな場合は、複数回いってもらうものの、残念ながら私はもちろん、他の児童にも聞き取りは難しい。なので、お隣さんに拡声役を頼むという方法をとるなんてこともある。

2つ目の手立てとしは、発言の冒頭の部分のみ教師が勝手に話し始めるという方法。「なんでぼくは○○さんの意見に反対なのかというと…」といった具合にイントロ部分を流すと「あ、そうだった」という表情を浮かべ「なんで反対なのかというと…」と自分の言葉でつなげられることもままある。ややあわてんぼの児童に多いパターンに思う。

そして3つめ。いよいよ声を出すのは無理そうだという場合の声かけが「誰かに助けてもらう?」である。勇気を振り絞って手を挙げたのに、いざ言葉を発しようとしても出せないというこの状態。本人にしてみれば、くやしさや情けなさが少なからずあることは予想できる。みんなから注目されているなら、恥ずかしさもこの上ない。そんなときにかける言葉として、最適ではないかと思われるのがこれだ。頭が真っ白の状態で言葉を発するのはハードルが高いが「助けてもらいたいかどうか」に対する意思表示はうなずくだけで済む。

特筆すべきは、この後の当該児童の表情である。その児童が「誰かに助けてほしい」という意思表示をすると、教師の指示を待たずに「僕が」「いや私が」という手がいくつも挙がる。しかもその手はみな、教師ではなく先ほどまで黙るしかなかったその子に向けて挙げられるのだ。

つまり「誰に助けてもらうか」の選択権が、その児童に与えられるということ。たくさんの友だちが自分を助けようとしている現状。そしてどの視線からも「頼むから自分に任せて」という懇願が見て取れる以上、誰に助けを頼むかは自分が決めていいという優位性もある。

この2つの理由から、先ほどまで恥ずかしさとくやしさに囚われていたその子が「誰にしようかな…」という思考の切り替えができた途端、表情が明るく変わり、うつむかなくなる。しかも黙ったままだった児童から依頼を受けた救世主は、指名を受けた瞬間からみんなの視線を集めるため、先に答えられなかった児童への注目はそれ以降、まったく0になる。

この「誰かに助けてもらう」という手段は、かなり前から継続している方法のうちの1つだが、黙ったままだった児童が救われなかったことは、これまでに一度もない。

例外がない的中率であるなら、きっと子どもたちにとってもこの声かけは救いになっているのだろうと自負している。

今日もまた最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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