分類化のススメ

指導スキル

「きょうしろう」と申します。現役の小学校教員です。今回のテーマは授業実践で自分が多用する意見集約のスキルについてです。

このテーマは、自分が駆け出しだった頃によく感じていた「なんか違う」「だんだんズレてきてる」という自覚や反省が礎になっている。改善の必要に迫られてあれこれ試しながらたどり着いた方法ゆえ、かなり筋金入りのおすすめと自負している。

ここでいう分類化とは「児童の意見のそれ」を指す。国語の小単元「きせつの言葉あつめ」的な題材を例にする。単純に「夏といえば?」なんて問いかけをしたとき、子どもたちは自分の頭の中に浮かぶ夏の楽しみや夏らしさにつながるものを列挙する。「すいか」「プール」「せみ」「かぶとむし」全員に1つずついわせても、まだまだ手は挙がる。

簡易で実体験に直結しやすく、どんな回答でもそれほど的外れにならない、こういった平易な問いかけには、児童の挙手に対する敷居を低くするアイスブレーキングの意図が大きい。その時間に一度声を発することができた児童は、その後の挙手が自然と増えてくる。「なんだ、やってみたら大したことないじゃん」「自分の意見に反応してくれるって、なんだかうれしい」そんな感覚なのではないかと思う。それだけでも最初の5分を費やす意義はある。だが、かつての私は、いくらでも寄せられる「夏アイテム」の数々を、ただただ黒板に書いていくだけで、集めたアイテムの有効な使い方を思いつかないままで終えてしまうのが常だった。

単なる「夏といえば!」的な発問なら、特に正解も不正解もないのだから、有効な使い方で悩む必要もないかもしれない。だが、例えば社会科の工業地域を映した写真の資料から、気づいた点を挙げさせるといった学習の場面では、単なる意見の列挙は、タイムパフォーマンスの悪さが明らかなだけでなく、場合によっては、双方にとって苦痛な時間にもなる。

運よくこちらが意図したポイントに着目してくれた、しかもそこからさらに周辺の関連事項にも言及してくれたという流れになるなら、こちらにしてみればありがたい、とてもスムーズな展開なのだが、そうなることはまれでしょう。むしろ「そっち?」と、つい顔をしかめたくなるような点に着目したり、ひどい場合には「なんか先生に似たおっさんが映ってる」「え、どこどこ?」「あ、ホントだ。うける~」なんて声が飛び交ったり、なんてこともないとはいえない。避けたい展開の筆頭。そこまでではなくても、こちらが「誰か気づいてよ!」と願うポイントと、児童の「目に留まる」ポイントとの間にはほぼ必ず乖離がある、かなり大きな。

なので、誰か、特に発言力の大きい児童の関心がそちらに向くと、他の児童も似た視点、関連した意見ばかりが集まるという展開になる。「うんうん、なるほど、そうだね。他にないかな?」という返しを、ずっと繰り返すのって、こちらも苦痛だけど、いつまで経っても「もっとないか?」と聞かれ続ける児童にとっても同じでしょう。

そこで冒頭の「分類化」が有効な手立てとなる。着目したのが写真中の人物だとすれば、まずは1つの「意見」としてそれを受け止め、その後で「人物に注目した意見だけ」を集約する。つまり「人物」というくくりで1つのファイリングをするのである。ある程度意見が集まったのち、次のカテゴリーの意見に移る。「人物はもういいかな?では他に何か気づいたことがある人は?」という具合。

するとほどなく、気づかせたかった点に着目した意見に言及する児童が現れてくる。つまり児童の中には、ちゃんと「何に着目すればいいか」を分かっている子がいるのである。だが、他の子の意見があまりに一方向に偏っていると、それと違う着眼からの意見は、発言のハードルが高くなるということだろう。分類化で一度リセットすることで、他の視点からの意見を求められる機会が訪れるので「だったらいいましょうか」という児童が挙手するのである。

分類化は、一見タイムパフォーマンスが悪く思える方法だが、児童のやや的外れな意見でも概ね認めてやりながら先に進めるという利点が大きい。しかも、教科を問わずどの学習内容でも適用できる方法である。むしろ時間繰りはゆとりが生まれるような気がしている。子どもの発言がこちらの意図と「なんか違う!」「そっちじゃない!」という悩みがあるときには試してほしい。

最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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