「きょうしろう」と申します。昨今のウイルス対策に関連して、児童の欠席状況について記していこうと思います。
新型コロナウイルスの影響により、2020年からここ2年ほど、病欠として学校を休む児童が激減している。ウイルスの影響で「減」というのは、一見不思議に思うかもしれないが、確かに減っている。
その理由は大きく2つある。1つめは発熱や頭痛など、あらかたの体調不良がほぼ病欠の扱いとならなくなったこと。もう1つは、多少なりとも体調不良が体に表れた際は、症状の軽重に関わらず早めに休ませるという暗黙の同意が固まってきたこと。
どちらも感染拡大防止に端を発する流れだが、学校に与えた影響はとても大きい。
1点目の「病欠扱いにならなくなった」とは、そのまま「欠席」ではなく「出席停止」の扱いにシフトするようになったという意味である。感染拡大を防ぐため、体調が普段と異なる場合には登校を控えてもらうのだが、その際は「欠席にはしない」という措置である。自治体ごとに異なるため、一概にそうだというのは乱暴だが、おおむねその措置が講じられることが多いと思われるので、その体で記述を進めることにする。
ここでいう「体調が普段と異なる」という表現は、まさにそのままであり、必ずしも熱や頭痛など、明らかな体調不良でなくても、普段と違う状態、例えばちょっとのどがイガイガするやら、鼻水が出ているやら、そういった症状もみなそこに当てはまることになる。これまでなら「そんなの学校に行けば忘れちゃうから行っといで」と送り出されていたものまで含む。それらしいものを「風邪症状」という言葉でひとまとめにし、当てはまるものが1つでもあるなら休ませてくださいというお願いを、あらかじめ保護者にしておくわけである。本人または保護者の意思で休むわけではないので、確かに出席停止の扱いの方が適当かもしれない。
インフルエンザやノロウイルスなど、特定の病原体による感染症は、あらかじめ出席停止の基準が定められていて、その危険度に応じて停止期間の日数も決められている。新型コロナウイルスは、そんなものものしい病気と同列の扱いとされているのだが、ここでいう出席停止の意味合いはだいぶ異なる。本来の出席停止は、医師の診断によりその疾病が確定してから、その期間も決まるのだが、上述の通り、いま巷でいわれるところの出席停止は「罹患した可能性が高いから」ではなく「多少風邪っぽい症状がみられるから大事をとって」その扱いとなるのである。さらにいえば、多少なりともその可能性がある児童がクラスにいるからという理由で休んだとしても「感染予防」という理由で出席停止の扱いとなる。
つまりいま現場は、ほぼ「病欠」で休む児童がいないということになる。
この「大事をとって」の考え方が浸透したことで、実はここ2年間、子どもの欠席事情に関する大きな変化を肌で感じている。一言でいえば、結果的に児童の不在が減っているということである。大事をとって休むということは、ひどくなる前に子どもは文字通り「休む」ことができる。保護者の立場からいえば、できるだけ学校に行っていてほしいという思いがあるのは分かる。事実、多くの場合、先に述べた通り、多少の症状なら「学校に着いたとたんに治まっちゃう」ことが大半なのだ。だが、そうでない症状も必ず存在する。いわゆる潜伏期間を経て発症期間に入ったあたりの児童にとって、教室の後ろで友だちとプロレスごっこをしながら過ごすか、自宅のベッドでゼリーを食べながら過ごすかでは、翌日以降の症状に差が出るのは当然だろう。さらに、教室で一緒にプロレスをした他の児童への影響を考えると、早めに体を休ませるという措置を講じることの意味はとても大きい。
結果として「大事をとる」という判断は、児童の側からすればメリットばかりとなる。保護者の負担という面で見ればそうとばかりもいえないが、より大きな視野で見れば、高熱の期間が長引かずに済む、他への感染拡大を防げるという意味で、やはり大人にとってもメリットといえるだろう。
人類にとって未知のウイルスという恐怖の対象だったものが、やがて少しずつ解明が進むにつれ、共生という意味での「ウィズコロナ」や「新しい生活様式」などが根付いてきた。
こういった大きな脅威に対する柔軟性や工夫する力があってこそ、人間はこれまでも発展を遂げてこられたのであろう。このウイルスに限らず、体調を乱す原因となるものに対して、軽んじることなく適切に対応するべきという姿勢は、改めて必要な備えなのだと強く思う。
最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。
コメント