「ブレンズすくーる」開講

親子関係
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「きょうしろう」と申します。現役小学校教師、いわゆる教育公務員です。

このブログは、教員としての自分にできることの具現化として立ち上げたものです。

主に

「後進や同僚諸氏への指針の一助となること」

「学齢期の子をもつ保護者の心的負担軽減の一助となること」

「学校現場と家庭との風通しをよくすること」

以上3点を目指して、日々の実践や私見をつづります。

訪れた方が、何かしらのお土産や拾い物を得られることを願い、細く長く続けていく所存です。

出会えたことの「ありがたさ」をかみ締め、私自身の明日の活力をもらえるような場にできれば幸いです。

そんな当ブログの運営者が最初の記事として選んだテーマですが…

「親子の決めごと」

 親子の決めごとについて書こうと思う。 

連絡帳を通して保護者からたびたび相談を寄せられるのが小学校の学級担任の常だが、中でも多いのが「うちの子、親のいうこと、全然聞いてくれません」という内容である。「宿題、自分からはやりません」「学校からのお便りを出してくれません」「ゲームの時間が守れません」などなど。

親からの「よかれと思って」や「あなたのことが心配だから」的な思いが、本人にはまったく届かないもどかしさが、文面からにじんでいるように思う。推測するに、前の晩も何かしらのバトル、または一方通行の叱責が起こり、それでもまったく改善の糸口が見つからないとき、もう先生に相談するしかないといった心情で連絡帳を開くのだろう。単なる思い込みだが、夜、疲れ切った表情の母親が、それでも頭だけは覚醒した状態でボールペンを握りしめている様子が浮かんでくる。大体は連絡帳ほぼ1ページ、場合によっては複数ページに渡って現状と心情が吐露されている、つまり長文である。

そういった相談が寄せられた場合、連絡帳にこちらも同じような長文で返すという方法より、改めてこちらから電話で連絡しますという返事のみ書いて返すことが多い。その日の放課後、頃合いを見計らって電話するわけだ。

時間で考えると、実際にコトが起きたのが前日の夜なので、電話で話すまでに20時間ほど経過していることになる。保護者の側もだいぶ冷静になって、自分の言動を振り返ったり、わざわざ連絡するほどのことだったのか、なんて考えたりするだけの時間が経っているわけだ。

それでもそういった相談は、毎年必ず複数件寄せられるし、それは私にだけではない。つまりどの保護者も必死になって我が子と向き合おうとしている表れと受け止められる。連絡帳につづるのは、救いや助言、そして「先生から我が子への効果的なお叱り」がほしいからであろう。

だから私は毎回、この言葉を伝えるようにしている。「早い段階でご相談してくださったこと、よかったと思っています」その一言があったとしても、保護者は「先生忙しいだろうに、こんなことで相談なんかして申し訳ない」という気もちでいてくれることが多い。せめてその申し訳なさは軽減したい。

ちなみに私からのその言葉は、毎回電話を切る直前である。それまでに伝えることはいくつもあるが、どういった現状からの訴えだとしても、保護者に共通していえることが1つある。「つい、我が子の悪いところばかりに目がいってしまう」という認識である。

一生懸命に子どもをほめようとしたり、もっと叱りつけたいところを飲み込んで、いよいよ我慢できなくなっての爆発だったりと、保護者の側の苦労はある程度予想できる。それでもかける声の8割が叱責や詰問である現状は、保護者にとって自分の子育てが「うまくいっていない」ことの表れと映るだろう。

まずそういった現状や、保護者の大変さをおもんぱかり、そのうえで私から毎回提言するのが「1つだけの決めごと」である。

親の側は、いくつものことが目について苛立ってしかたない。なので、一度叱責が始まると、もともとの原因とは関係ないところにまで飛び火する。「だいたいアンタはいつも靴下だってその辺に脱ぎっぱなしで…」なんて話にまで。

親が子どもに対して「いい過ぎた」「叱ってばかりいる」と自省するのは、自分が伝えたい「核」の部分だけではいいたりないという衝動が勝ってしまうからだろう。

そんな親の抑止にもなり、何より親自身が多少なりともラクになるためのおすすめが、この「決めごと1つ」という提言である。

どんなことでもいい。たとえば「学校からのお手紙を電話の横の引き出しに入れる」「晩御飯の前に明日の予定をそろえる」などなど。大事なのは、その1つを子どもが守れている限り、ずっと認め続ける、ほめ続けるという親の側の忍耐力である。1つが習慣化すると、親は「だったら次はこれも…」と考える。子どもにしてみれば、結局いくらやっても、次から次へと課題が増えるばかりに思える。だから最初に決めた1つもおろそかになる。それを見た親は「たった1つのこともできないのか!」と感じてしまう。

そんな好ましくないループを断ち切るのが、たった1つをほめ続けることができるかどうかという親の側の覚悟、忍耐力なのである。この1つができている限り、少なくとも親は子どもを叱る必要がない。そしてそれができていないときだけ叱ればいいというのは明確な基準になる。基準があることで、親も子もストレスが減る。慣れてくれば大したことしてるわけでもないのに、それでも毎日ママはぼくのことを「ちゃんとできて助かるよ」ってほめてくれる。そんな関係こそ、保護者が望んでいたものではないだろうか?

「そんな決めごとをしたいんだけど、どうかな?」なんてことを、我が子にふってみては?と、電話で投げかけるわけだ。昨夜のいざこざから20時間ほど経ったいま、保護者と同様、子どもの側も昨日を振り返り、何かしらのわだかまりを抱えている。双方落ち着くための適度な時間が経ったところで「お母さんね、ちょっと考えてみたんだけどさ…」なんて声かけをすることは、それほどハードルが高くはない。中にはゆうべいざこざがあったことなんて、まるで覚えていないツワモノも存在するが、そういった子には、むしろ親の側は構えずに話しかけることができそうだ。それでも話しをふりにくい場合には、ちょうどいい仲介役を話の冒頭に織り交ぜてもらう。「さっき、先生と電話で話したんだけどさ…」と。

 さてさて、こんな感じで保護者がちょっとラクになるかもしれない話題や、同業諸氏がちょっと楽しそうだと感じてもらえるような話題を、これから少しずつ発信していこうと思います。

 最後までお付き合いいただき、ありがたき幸せです。またお会いできますように。

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